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楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためだけじゃないクルマ絵本ライブラリー


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Category: picture books about architecture/ケンチクノエホン   Tags: ---

ケンチクノエホン~東京―建築・都市伝説

東京―建築・都市伝説

去年、こんなポップアップ絵本があるんだと知って購入した本、『東京―建築・都市伝説』(米山 勇・監修、江戸東京博物館+江戸東京たてもの園・編、TOTO出版)。明治以降に作られた東京の建築物を仕掛け絵本で紹介したもの。今年は東京オリンピックイヤーだしね。これがなかなかよくできた楽しい本なのだ。既に絶版本なんだが、未開封の新古本をほぼオリジナル価格で入手できた。探せばまだ見つかるんじゃないかな。ヒコーキに続いてケンチクノエホンにも手を広げてしまいそうw。


調べてみると、この本は2001年11月から2002年1月まで東京都江戸東京博物館で開催された『東京建築展:住まいの軌跡/都市の奇跡/震災復興から現代・未来篇』を記念して出版されたようだ。江戸東京博物館は1993年に「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として両国に開館している。建物の設計は菊竹清訓(大阪万博のエキスポタワー、沖縄海洋博のアクアポリスの設計でも有名.同郷なんで福岡市役所も彼の設計です)[1]。開館して30年近くになるけどまだ一回も行ったことがない。面白そうなので今度行ってみようかな。

本書で紹介されるのは、
01.一丁倫敦
02.鹿鳴館
03.凌雲閣
04.帝国劇場
05.東京駅
06.帝国ホテル
07.同潤会アパートメント
08.東京タワー
09.国立代々木競技場
10.超高層ビル
11.パレットタウン大観覧車

明治42年頃の一丁倫敦
明治42年頃の一丁倫敦[2]
三菱1号館(2019)
復刻三菱1号館[3]

この中で竣工当時の姿を2020年現在見られないのは、02~04と07。「一丁倫敦(ロンドン)」は本書で初めて耳にする言葉だった。明治初期、現在の丸の内周辺はクイーン・アン様式の美しい煉瓦建築の街並みだった。当時この周辺一帯を陸軍省から払い下げられた岩崎三菱は、世界経済の中心地、ロンドンにある金融街、ロンバード・ストリートに倣ったオフィス街建設をこの地に計画したのだ。英国から招聘した建築家、ジョサイア・コンドルが三菱1号館から3号館までを設計、その愛弟子、曽禰達蔵らが引き継いで4号館、5号館・・・と1914年(明治38年)の21号館竣工でこのアジア最大のビジネス街は完成した。このエリアは街区がちょうど100m(一丁)だったことからこう呼ばれた。戦後、丸の内再開発で当時の建物は解体されたが、2009年に1894年(明治27年)に竣工した1号館が復刻再建。現在は美術館として当時の美しくも威風堂々とした姿を拝むことが出来る[2][3][4][5]。

一丁倫敦
一丁倫敦(『東京―建築・都市伝説』より)

「凌雲閣」は知っている方も多いと思うが、1890年(明治23年)に浅草に誕生した展望ビル。設計は英国人招聘技師、ウイリアム.K.バルトン。当時としては高層建築の12階建てで高さは52.4m。日本初のエレベータを備え、最上階には望遠鏡も設置された。当時の粋でいなせな江戸っ子は、東京の一大パノラマをここから楽しんだのだろう[6]。関東大震災で倒壊、爆破解体されたので現存はしないけど、“塔楼”といってもいいレトロな風貌が浅草にマッチする。東京スカイツリーみたいに何でもかんでも高くすればいいってもんじゃない、建築ってものは。出しゃばり過ぎず周囲の環境にもマッチする雰囲気、佇まいが重要。アメリカ型の現代高層建築は情緒というものを建築から奪ったと思う。こちらも現代建築で復刻できないのかなあ。

超高層ビル
超高層ビル(『東京―建築・都市伝説』より)
幼稚園の頃、キンダーブックみたいな絵本に当時竣工した「凌雲閣」の高さの3倍もの「霞が関ビル」の工事過程を描いたお話があって夢中で読んだ記憶がある(土木技師だった父の影響かな).それから半世紀、地震国の首都もアメリカ型スカイスクレーパー(摩天楼)だらけになった.

03の「帝劇」は今の東宝劇場じゃなくて、1911年(明治44年)に竣工した初代の方ね。日本最初の本格的洋風劇場で、フランスルネッサンス様式の荘厳な建物だったみたい。「東京駅」は2012年にオリジナルの復元工事が完了して、当時の姿が蘇った。

東京駅丸の内口

「帝国ホテル」はフランク・ロイド・ライトの設計としてあまりにも有名だが(本書のポップアップもライト館)、これは二代目だったんだね。初代は鹿鳴館と同様、明治日本が西洋文明を急速に取り入れる流れで1890年(明治23年)に完成した。渡辺譲・設計によるルネッサンス様式のホテルだったが、この本館は1922年(大正11年)、関東大震災の前年に火災で焼失している。ライト新館の着工は遅れに遅れ、完成披露の日が震災当日だった。ライト館が震災でも生き残ったことが彼の名を不動にしたが、この二代目は1970年の本館建て替えに伴い、‘74年に愛知県の明治村へ移築され(エントランス部分のみ)、現在でもその不朽の名作の一部を見ることが出来る[7][8]。移築するお金と手間を考えれば、当時の最新技術を駆使して、せめて新しいホテルと融合した形で内幸町の地に残せなかったのかなあ。宿泊客の命が最優先ではあるが、世界じゅうから様々な旅人がクロスする“生きた”「旧帝国ホテル」を見てみたかった。

帝国ホテル
帝国ホテル:こんな風にうまく開かなかったのでネットから
出典:Twitter@SJ8jH7Mu8PYapRb

「同潤会アパート」は財団法人同潤会が大正末期から昭和初期にかけて建設した集合住宅の総称で、都内と横浜に16か所存在した(横浜にも2か所あったんだね[9])。最後に解体されたのは上野下アパート(台東区東上野)の2013年。有名なのは表参道にあった青山アパート(2003年解体)=現在の表参道ヒルズで、私がリアルタイムに見たのはここだけかな。上京したての頃に表参道に遊びに行ったときは、旧いアパートなのに最先端の街並みに溶け込んでやっぱり東京はおっしゃれーと思ったもんだ。いやー、建築って歴史もわかって面白いね。五輪の年に、我らが首都、大東京の建築探検をしてみても良いかもしれない。

いい、ひじょーにいい
いい、ひじょーにいい
出典:日本テレビ「同期のサクラ」

実はクルマノエホンからヒコーキノエホン、そしてケンチクノエホンに興味が広がるのは必然なのだ。クルマとヒコーキが他ののりもの(鉄道や船など)と違って密接な関わり、というかほとんど兄弟関係にあることは「ヒコーキノエホン」で述べた。同様に建築、特に20世紀以降の現代建築も自動車とは切ってもきれない関係にある。

建築物(その集合体としての都市も含む)は、自動車が登場した20世紀から大きく変容した。それまでの都市、建物の概念を自動車が変えたといってもいいだろう。まず道の風景が変わった。それまで移動手段といっても馬車くらいだったが、道は広く、長く、縦横と交差し、信号によって人もクルマも制御されるようになる。都市と都市の間は「ハイウェイ」で結ばれ、陸上の移動ですら2Dから3Dへと風景そのものが変化した。堀田典裕氏の言葉を借りれば[10]、今や駐車場の併設されていない建物を探すことの方が難しい(居酒屋ですら!)。駐車場以外にもサービスエリア、バスターミナル、ガソリンスタンド、ロードサイド・ショップ・・・、これらはいずれも自動車の登場とともに新しく生み出された建物である。こうした建物が、我々のライフスタイルを大きく変容させたと同時に、自動車という存在自体が、最も身近な個室空間の一つになっている。かのル・コルビュジエもクルマを設計しているように[11]、20世紀以降の建築家にとっては自動車そのものがミニマムな居住空間であり、創作意欲を掻き立てるプロダクトなのだろう。

ル・コルビュジエ 建築家の仕事

現代都市に影響を与えた交通システムは、他にも鉄道や船舶、航空機もあるじゃないかと言われるかもしれない。しかし堀田はそれらの交通手段に関する施設(駅、港、空港)は、都市空間に対して大きな影響力を与える建造物ではあるものの、都市を構成する要素の一部にすぎず、路面電車を除く鉄道の線路も都市空間における「エッジ」となることが多く、存在も限定的と語る(そう考えると、路面電車は鉄道よりもむしろバスと同じような“クルマ”と捉えた方が良く、クルマノエホンにトラムも加えようw)。一方で自動車に関する施設(道路、駐車場、ガススタンド等々)は、都市空間における影響力は個々には小さいものの、広く網羅的に分布しており、道路に至っては都市空間における「パス」の役割をする点で、他の交通システムとは決定的に異なる、むしろ都市の基本骨格であると論じている。

国立代々木競技場
国立代々木競技場:オリンピックといえばやっぱりこれだね(『東京―建築・都市伝説』より)

つまりあらゆる現代建築は、何らかの形で自動車の恩恵を受けている。好むと好まざるとにかかわらず、その関係性を無視して現代建築は成立しない。さらに自動運転の世界になれば、この自動車の個室化・居室化がさらに進むことは間違いない。「トコトンやさしい電気自動車の本」や「電気で走るクルマのひみつ~EV・PHEV~」でも紹介したように、自動車のエネルギー手段が石油から電気に代わったとしても、自動車と建築・都市の関係もまた堀田の言うように本質的には変化しないだろう。なぜなら、我々が今生活するこの環境のほとんどが、(表面上は人間中心と謳っているものの)自動車を中心に設計・構築されたものだからだ。そして、地球温暖化の元凶だ、人の命を奪う凶器だといっても、自動車とその環境を完全にリセットすることは決してサステイナブルな(持続可能な)選択ではなく、相互に関係性を改善していくしかない。



そんな考え方にも触れて、都市・建築にもどんどん興味が広がっていった。私も中高生くらいの頃は都市工学にも興味があって土木・建築系への進路も考えたことがある。私大はそちらを受けていたので(私立には資源工学科が皆無だったからね)、世が世ならそっちの業界で食っていたかもしれない。結局資源エネルギー系にも進まず別な業種に進んで今苦しんでいるけど、選択間違えちゃったかなあ。息子もまだ建築系への進路は変えていないようなので、そのうちこのテーマがメインになるかも。テツドウノエホンに手を出さないのは、単にその情報量の質・量においてクルマのそれとはケタが違う、手に負えないというだけ。コレクションしたい素敵で、私を魅了する鉄道の絵本も実はたくさんある。

いつかはクルマノエホン、ヒコーキノエホン、そしてケンチクノエホンをそれぞれ独立させ連携させて、これらをネタに趣味人たちが繋がれる仮想空間、リアル空間の場が提供できたらなあと夢みる2020年の初春。と今朝ネットの記事読んでたら、恋愛・婚活コンサルタント女史が語る次のきつーいアドバイスに、クルマ趣味人の昭和おっさんはいと沈む。別にモテたいつもりで「ケンチクノエホン」に触れた訳ではないのだけど・・・。平成・令和の男子は大変だねえ。

「婚活中の男性には、LINEのアイコン写真やマッチングアプリなどの写真に車やバイクの写真は使わないようにお伝えしております。」

「高級腕時計」がモテると思っている「昭和の価値観」の残念な男たち





[参考・引用]
[1]東京都江戸東京博物館、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京都江戸東京博物館
[2]「三菱一号館」復元プロジェクト、三幸エステート㈱ホームページ、オフィスマーケット 2004年10月号掲載、
https://www.sanko-e.co.jp/read/memory/mitshubishi-ichigo-hukugen
[3]あまりに美しすぎた54年前の東京・丸の内「一丁倫敦」と都電 復刻再建した現在と比べると?、諸河久、AERA.dot、2019年3月23日、
https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2019032100018.html?page=1
[4]一丁ロンドン、コトバンク、
https://kotobank.jp/word/一丁ロンドン-1269837
[5]なぜ消える? 丸の内のレトロな名称「ビルヂング」、東京ふしぎ探検隊(15)、フード・レストランおでかけナビ、日経電子版、2011年12月2日、
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO36894790Q1A131C1000000?channel=DF130120166138
[6]仮想プロジェクト 浅草凌雲閣を救え!、伝統建築/歴史的建造物の保護・再生、鹿島ホームページ、
https://www.kajima.co.jp/tech/traditional/ryouunkaku/index.html
[7]〈帝国ホテル旧本館「ライト館」〉VRを初公開! フランク・ロイド・ライト生誕150年記念祝典。、ブルータスCasa、2017年9月26日、
https://casabrutus.com/architecture/54027
[8]旧帝国ホテル中央玄関 移築整備、伝統建築/歴史的建造物の保護・再生、鹿島ホームページ、
https://www.kajima.co.jp/tech/traditional/ex/ex2_01/index.html
[9]同潤会アパート、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/同潤会アパート
[10]自動車と建築 モータリゼーション時代の環境デザイン、堀田典裕、河出書房新書、2011年
[11]ル・コルビュジエの愛したクルマ、岡田邦雄、平凡社、2010年
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