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クルマノエホン livres d'images de voitures

楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためだけじゃないクルマ絵本ライブラリー


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Category: Yokosuka/横須賀   Tags: ---

二十歳

日産エクストレイルT30
出典:B-cles.jp

先日、長女が成人式を迎えた。たいしてお祝いはしなかったけど、母親(妻)や叔母も袖を通した晴れ着姿の娘を見ると、まあここまで無事に育ってくれたと命を授けてくれた神様仏様に感謝するばかりである。


21年前、妻が妊娠したとわかった数日後、切迫流産で緊急入院した。かなり状態が悪かったため絶対安静で流産する危険性も極めて高い、覚悟をしてくれと医者には言われた。そしてトイレに行くにも点滴と一緒にすり足で数カ月の入院生活。当時は私の仕事も大変な時期だった。妻の実母はその数年前に他界、私の母も福岡で闘病中。幸い市内の近所に彼女の叔母が住んでいたので、会社帰りにはほぼ毎日、病院と叔母の家に通った。妻の頑張りで奇跡的に峠は越せ、退院後もできるだけサポートを続けながら、ミレニアムイヤーに娘は誕生した(二人目のときも切迫流産だったが、このときの経験が生きた)。出産は割と楽だったのだけどその後が大変。

母になったクリステル
”お・も・て・な・し”クリスタル、もといクリステルさんも母親かあ・・・しかも東京五輪の年に.出来過ぎやろ.
出典:自分ZONE

進次郎さんのところも男の子が産まれたみたいだけど、おっぱいは飲まない、夜泣きは酷いで妻も私も極度の睡眠不足となりかなり肉体的・精神的に参った。男親の育休なんてあり得なかった時代だから、特に日中一人の妻は一時育児ノイローゼ気味になっちゃって。そんな時、この世で生を受けられなかったかもしれないこの子を産むために、苦しい入院生活を必死に乗り越えたことを思い出せば、今の大変さなんて大したことはない、と二人で言い聞かせ何とか乗り切った。それから20年の間、私も精神的に苦しんだ時期があったけれども、生きてさえいれば何でもできる。25年前の神戸で、二十歳の晴れ姿を見たかった子供たち、その成長の姿を見せたかった親たちが多く犠牲になった。そのことを考えれば、我々夫婦もあの震災を現地で経験しているだけに(「1995年」)、どれだけ恵まれているかと今この瞬間を感謝するばかりである。二十歳になっても、娘の理解不能な言動には夫婦共々振り回され続けているがね。

横須賀成人式2020
横須賀の成人式展会場
来賓には育休の進次郎さん.娘が小学生のときに一緒にTV出演したEXILE TESYUYAさんと橘ケンチさんからの祝福ビデオメッセージがあったらしいし、その小学校同期とも久しぶりに再会して楽しい一日だったみたい.
出典:タウンニュース横須賀・三浦版

その娘を横須賀の式典会場までクルマで送っていくと、まあいるわいるわとんでもない輩たちが(少しは親の気持ちも考えろよ)。ヨコスカなんで肌の色もバラエティに富んでいる。最近は自分の名前を描いた派手な“のぼり旗“が流行っているらしい。毎年ニュースでも恒例になっているけど(横浜じゃ乱闘騒ぎもあったらしいが)、話題にするから目立ちたがり屋の彼らはつけ上がる。夜のニュースで我が故郷・福岡(北九州)の”ありえへん“成人式を見て、こちらもやんちゃ系の多い沼津出身の妻は「福岡を見ると横須賀なんてかわいいもんだね」と妙に感心していたw。で、案の定、エンジンをふかして窓から身を乗り出す騒がしい一団が横を通り過ぎて行った。日産車だった(しかも仮ナンバー)。アンモラルなブランドとしてすっかり定着しちゃったね。昔からだけど。すると20年前にはどんなクルマが登場したのか、つまり娘と同じ今年二十歳のクルマたちにはどんな奴らがいたのかとふと気になって調べてみたんだ。

現在独り勝ちのトヨタはWiLLという実験ブランドを立ち上げた年。トヨタと異業種(花王、アサヒビール、松下電器産業、近畿日本ツーリスト)の合同プロジェクトで、それぞれの企業からWiLLブランドの商品を販売した。トヨタからはWiLL Vi、VS、CYPHAの3車種を投入したが、必ずしも成功したとは言えず、2004年にプロジェクトは終了している[1]。

WiLL Vi
トヨタ・WiLL Vi[1]

ホンダはF1復帰と二足歩行ロボットASIMOを発表した。5ナンバーの3列シート車、ストリームもヒットした(2000-2001年日本COTY受賞車)。我が愛車、日産エクストレイル君の先代、初代エクストレイル(冒頭写真)も2000年に登場していた。こちらもSUVブームの先駆けとして大ヒット。そして、前年の1999年に日産がルノーの傘下になって、送り込まれたカルロス・ゴーンが「日産リバイバルプラン(NRP)」を同年10月に発表しているので、2000年が実質、大規模なリストラのスタート年だったのだろう[2]。’97年に世界をあっと言わせた量産型ハイブリッド車、トヨタ・プリウスが登場してから約20年、自動車業界も大きく様変わりした。ハイブリッドからEVへ、ドライバー主体の運転支援からクルマ主体の自動運転へ、所有からシェアへ、日産は再び危機に瀕し、挑戦する企業ホンダもすっかり保守的になった。昨今、自動車会社は一国に一社で十分なんて言われている。

こんなホンダは要らない(日経ビジネス2015年3月16日号)
出典:日経ビジネス2015年3月16日号

20年生き残る難しさを痛感する。


この20年で、父さんは身体のあちこちが痛いぜ

[参考・引用]
[1]【懐かし自動車ダイアリー】2000年(平成12年)~クルマで振り返るちょっと懐かしい日本、GAZOO、2019年2月18日、
https://gazoo.com/article/nostalgic/190218.html
[2]日産自動車、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/日産自動車
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