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1929年と自動車

1929年と自動車

前回の続きで自動車用バッテリーのレポート提出を年内に済ませそうもないので、一旦インターバル。今年最後のクルマノエホンは私のプライベートと絡めて2019年を締めたいと思う。私にとって今年最大の出来事は実父が鬼籍に入ったことだろう。10月に亡くなってからも年末にかけて仕事も家庭もバタバタで、相続など面倒くさい事務手続きの多くも未だ片付いておらず、ゆっくり父の死を噛みしめる余裕すらない。父の誕生はちょうど90年前の1929年(昭和4年)だが、その年の自動車広告について記した貴重な本がある。それが『1929年と自動車』(中尾充夫・著、自費出版)だ。1979年に出版されているので“50年前の自動車広告”というサブタイトルが付けられている。この“クルマ絵本”を紹介して父が生まれた当時を知ることでちょっとだけ彼の弔いになればよいかなと思ったのだ。


作者の中尾充夫さんは1920年、大阪生まれの自動車工業史研究家。京都大学を卒業し、三菱重工業、三菱自動車販売の取締役を経て、三菱自動車工業の常務取締役まで務められた方のようだ[1]。本書は三菱自販時代に上梓されている。『世界自動車工業概史』(丸善)『ヘンリー・フォード』(自費)『自動車を育てた人々』(能率大)『ばっくみらぁ わが自動車昭和史』(自費)などの著書もあり、自動車図書館に寄贈された約900冊にも及ぶ書籍・資料は、現在「中尾充夫文庫」として所蔵され、図書館利用者に幅広く活用されているそうだ[2]。なぜ1929年なのかということだが、この年が自動車史にとってもエポックメイキングな年だと本書の中でも語っておられるが、あとがきを読むと氏が新聞の自動車広告を始めて切り抜いた、すなわち自動車に興味を持ち始めたのが1929年(小学3年生)の時、当時の50年前だったことが本書を記す契機になったようだ。本書に掲載されている広告のほとんどは自前のものとのこと。同じく自動車史家として有名な五十嵐平達さんも著書『世界の名車 絵で見るくるまの文化史』の中で、ご自身が幼少の頃から集められた自動車のパンフレットや広告を紹介しているが、基本写真ではなく描画が主体の戦前のそれらは、絵本代わりに当時の児童たちを魅了したのであろう。

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A型フォードの広告.そのイラストはまるでわたせせいぞうのよう.(『1929年と自動車』より)

1929年が歴史的にどういう年だったのか。世界史の教科書を紐解けば、10月に始まった世界大恐慌が有名である。本書で知ったのだが、第一次大戦の終了した翌年1919年から第二次大戦の始まる1939年までの20年間を「大戦間時代」というそうで、1929年はちょうどその真ん中に当たる。前半は勝った英仏も負けたドイツも共に疲弊し、大戦の被害を受けなかった米国だけが世界経済の主導権を得て、我が世の春を謳歌した。フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の時代背景だ。そしてバブルの弾けたアメリカ発の世界恐慌で世界じゅうが暗黒面へ落ちて行った後半の10年。日本はというと、第一次大戦で日英同盟を理由に大陸進出を計って景気はよくなるが、大戦が終わると景気は反転、1923年の関東大震災が留めを刺して、1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌から大恐慌の不況真っ只中で、父は銀行員だった祖父の仕事の関係で1929年に中国にて生を受ける。政治の世界も混乱していて7月に田中義一内閣が総辞職。前年に関東軍の謀略で「張作霖爆殺事件」が満州で発生したことから責任を取り、浜口雄幸内閣が引き継いだ。その浜口首相も翌年、右翼の凶弾に倒れる暗い時代だ。父もその後中国から満州、台湾ときな臭い外地を点々とした。

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エレガントなスチュードベイカー(『1929年と自動車』より)

それでも大衆社会ではカフェやバーが繁盛し、銀座では断髪のモガ(モダン・ガール)が闊歩していたという。世界最大の飛行船「ツェッペリン号」が東京の空を飛んだのもこの年。「昨日はゴルフ 今日競馬 マージャン ダンス カクテール 日に夜をついでの遊びごと チラリと秋波投げキッス 知ってしまえばそれまでよ 知らないうちが花なのよ」(サトウ・ハチロー『麗人の唄』)の流行歌のように、大衆は暗い世相に対して憂さを晴らしていたのか、私のイメージに反して結構見た目華やかな時代だったようだ。しかし幻の東京オリンピック(1940)が決定したのが、この空気感の中での1936年。2019年を振り返ると、特に大企業の経営不振が目立った一年だったにも関わらず、世の中はラグビーだの五輪だのIR(カジノ含む統合型リゾート構想)だの不況の兆しどこ吹く風かと浮かれ切っている。一方で政治(国家)も企業もモラルを失い、あおり運転や無差別殺人、ネットを中心とした中傷や差別、蔓延する薬物等々、それは海外も同じで90年前と同じような“ダークサイド”の臭いを感じるのは私だけではあるまい。

余談だが、父が亡くなって戸籍謄本を本籍地の山口から取り寄せたのだが、父の出生地は“支那(中国)”廣東省汕頭市、叔母の出生地が大連市になっていた。興味深いのは大連市の前に“支那”の表記がなかったこと。満州の記述すらない。満州国は外国ではなく日本ということなのだ。当時の歴史は知識としては知っているものの、こうして身内の“公文書”を見ると自分の血の中に生々しい歴史を感じた。

さて自動車史における1929年である。本書によれば1929年の世界自動車生産台数は634万台。米国がそのうちの84%、534万台を生産していた。英国、フランス、ドイツがそれぞれ24万台、25万台、16万台。日本はなんと437台だ。日本初の本格的な自動車生産は白楊社のオートモ号が最初で、1925年に生産を開始し230台が製造されたが[3]、自動車製造を目的にした会社がまだ国内に存在しない時代だから仕方がない(1933年設立の自動車工業㈱=日産自動車㈱が最初とされる[4])。同年の世界保有台数も2,650万台。ちなみに2018年における世界の四輪自動車生産台数は9,571万台。世界でも最も四輪自動車を生産しているのは中国で2,781万台。以下米国1,131万台(90年前から意外にも倍増程度)、日本973万台、インド517万台、ドイツ512万台、メキシコ410万台、韓国403万台、ブラジル288万台、スペイン282万台、フランス227万台…。アジアの台頭と自動車文化発祥の地、欧米の没落が顕著だ。世界保有台数も13億台を超え(2017)、約1世紀90年で50倍以上に膨らんでいる[5]。グレタさんが声を上げるのも無理ないか…。

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モリスの組立工場.シャシーとボディーが1分間に1台の割合で組立てられる-1929(『1929年と自動車』より)

1929年の国内外の自動車関連ニュースはというと、現在世界最大級の自動車業界新聞である「日刊自動車新聞」が2月に創刊[6]。3月には米国フロリダ州デイトナビーチで、英国人ヘンリー・シグレイヴ(Henry Segrave)がハンドルを握る「ゴールデン・アロー号」で、当時の世界最速記録231.446mph(約372.476km/h)を打ち出した。この記録については「世界一速い車」で言及しなかったが、シグレイヴは1927年に「初めて地上で200mph(約322km/h)を超えた人間」として有名らしい[7]。ただこの記録も1931年にマルコルム・キャンベル卿(Sir Malcolm Cambell)に破られた。

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ヘンリー・シーグレーブとゴールデンアロー号(1929)[7]

4月にはカール・ベンツ死去。5月にはいすゞ自動車や日産自動車の源流でもある㈱石川島自動車製作所が設立されている。8月には日本で最初の有料道路が大船~片瀬間に開通しているが、その年に生まれた父が後の日本の高速・有料道路建設・管理を担った特殊法人、日本道路公団の技師になったことも不思議な縁を感じる。そして10月には有名なヘンリー・フォード博物館がデトロイトに開設されている。大昔、アメリカに出張した時にこの博物館に訪れているが、父の誕生した年に出来た博物館なんて知りもしなかった。

本書の表紙は世界最古の自動車雑誌[8]、英国の“The Autocar”1929年4月19日号の表紙を同社の許可を得て使っているそうだ。クルマはオースチンのようだが型式などはわからない。収録されている広告は1929年の米国車、英国車、その他欧州車、そして日本(もちろん外国車の広告)だが、米国車の広告はやっぱりカラフルでエレガント。英国のそれと比較してもデザインが洗練されている。これも今年になって生前の親父から聞いた話なのだけど、1929年から12年後の12月8日、日本国じゅうが真珠湾攻撃で沸き上がったその日、外地経験の長かった祖父は「この戦争は負ける」と父に話したのだそうだ。これらの広告を見てもそうだと思うが、まともな思考能力がある人ならば、客観的に合理的にそう判断するのはごく自然だった訳である。令和の今、またしても思考停止状態の日本。『2019年と自動車』という本があれば果たして90年後にこの国で読めるだろうか。

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昭和4年 大阪朝日新聞広告(『1929年と自動車』より)

あー、ゴーンちゃん国外逃亡しちゃったよ。「日本の政治的迫害から逃れた」だって。2019年最後の最後で後世に残る自動車ニュース、いや法治国家というものが問われる歴史的大事件になるかもしれない。

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ルノー.ルイス・ルノーが1898年に創始したフランス最大のメーカー(『1929年と自動車』より)

[参考・引用]
[1]三菱A型(三菱甲型)、2019日本自動車殿堂 歴史遺産車、日本自動車殿堂ホームページ、
http://www.jahfa.jp/wp/wp-content/uploads/2019/12/2019-mitsubishi.pdf
[2]元三菱自動車工業株式会社・中尾充夫様に感謝状を贈呈、p30、JAMAGAZINE 2015.May、No.49、
http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/jamagazine_pdf/201505.pdf
[3]自動車誕生から今日までの自動車史(前編)、よくわかる自動車歴史館、GAZOO、2013年5月30日、
https://gazoo.com/article/car_history/130530_1.html
[4]【車屋四六】日本最古の自動車メーカーとは、Car&レジャーWeb、2017年5月23日、
https://car-l.co.jp/2017/05/23/【車屋四六】日本最古の自動車メーカーとは/
[5]生産・販売・保有・輸出、クルマと世界、日本自動車工業会、
http://www.jama.or.jp/world/world/index.html
[6]日刊自動車新聞、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/日刊自動車新聞
[7]速度記録車「ゴールデンアロー」がARで蘇る! 英国のミュージアムが挑む2年間の大プロジェクト、三代やよい、GENROQ Web、2019年12月29日、
https://genroq.jp/2019/12/57414/
[8]オートカー_(雑誌)、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/オートカー_(雑誌)
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