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ビル・エヴァンス タイム・リメンバード

ビル・エヴァンス タイム・リメンバード
出典:UNIVERSAL MUSIC JAPAN

令和になる前に横須賀へ帰って来た。福岡で入院中の父の新しい終の棲家の目処も何とか立ち、新時代とともに残りの年月を穏やかに過ごしてもらいたいと願う。父の件が一段落ついた連休早々、『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(原題“BILL EVANS TIME REMEMBERED”)』(2015、米)というドキュメンタリー映画が公開されることを知って博多の映画館へ観に行った。

平成最後の福岡01
市内の移動にクロスバイクを買った.介護施設なども色々回ったのでね.

ビル・エヴァンスは弊ブログでも何度か記事(「You Must Believe In Spring」「Waltz for Debby」)にしている伝説のジャズピアニスト。1980年に亡くなっているが偶然にも父と同い年であり、今年は生誕90周年だった。2015年にアメリカで公開された作品だが本邦初公開。しかも全米各地の映画祭や音楽イベントなどには出品され数々の賞を受賞、SNS上では話題になっていたそうだが、劇場公開はメモリアルイヤーに合わせたもので日本が世界初なんだって![1]公開初日に気づいたのも何かの縁だったのか。



大昔、当時音大生だった友人の従妹のアパートに独身男3人で転がり込んだ事があった(何もやましいことはしていませんよ、ただ泊めてもらっただけw)。アパートといっても音大生なので当然室内にはピアノが置いてあるそんじょそこらの貧乏学生の部屋とは違う。何か弾いてくれるというので、夜だったし私は"Waltz for Debby"をリクエストした。クラシック音楽を勉強する学生だったが、このエヴァンス作曲のジャズの名曲は彼女も知っていて、珠玉の旋律をさらりと奏でてくれて我々一同小さな感動を覚えたことがある。ジャンルを越えて大きな影響を与えた音楽家がビル・エヴァンスという人だ。勿論私の音楽履歴にも少なからずインプットされている。それにしても昨年末からクイーン、エリック・クラプトンと音楽映画三昧だ。

2006年頃から撮り下ろしていたらしいので、ポール・モチアンやジム・ホールなど既に鬼籍に入られた共演者の方々も含め、親類・関係者らの貴重なインタビューが見られる。勿論"Waltz for Debby "を捧げたビルにとって大切な姪、デビー・エヴァンスも[2]。ビル・エヴァンス本人の声もこの映画で初めて聴いた。彼は喋らずピアノで語ると勝手に思い込んでいたから新鮮だった。

彼の壮絶な人生を振り返るとエリック・クラプトンと重なる。大切な人たちの死、複雑な女性遍歴、歳を取ってから子供を授かりそれが生きる糧になった、そしてドラッグ。同じ天才でもクラプトンと違ったのは死の間際まで薬から抜けられなかったこと。

[3]を引用すれば、彼は苦悩と絶望から逃れるために「時間をかけた自殺」を図ったのかも知れない。そんな常に死を感じさせる彼の儚い繊細な演奏が、人々を魅了するのだろう。テレビの番組を見ていたら数学者の藤原正彦先生が、AIは過去のデータベースから、例えば俳句など人が作るようなものをいくらでも作れるだろうが、作品として後世に残すものの選択はできないとおっしゃっていた。それはAI に情緒がないから。情緒は死を意識することから生まれる。機械には死の概念がないから何度でも繰り返し生み出すことができる。しかし命あるものいつかは死ぬ。いや時代の終始にすら感慨を覚えるように、終わりがあるからこそ一瞬の輝きが美しいと感じる。この人間ならではの美意識が情緒なのだと。ゆえにAI 恐れるに足らずと一刀両断。AIも恐れる感性の持ち主がビル・エヴァンスなのだ。

誤解されぬようにいうが、その独創的な感性を生み出すのは決してクスリの力ではない。世の愚かなアーティスト、クリエーターは勘違いしないように。経産省自動車課のキャリア官僚が覚醒剤所持で逮捕されたそうだが、もし事実なら世も末である。

80数分の映画だが最初の時間帯は不覚にもウトウトしてしまった。疲れていたんだな。はっきり目が覚めたのは帝王マイルス・デイビスの名アルバム"Kind of Blue"の下りから。ビルは1958年にマイルスのバンドに参加するが短期間で辞めている。黒人中心のジャズにおいて白人の彼は居づらかったのだろう。しかし翌年、彼の才能を認めていたマイルスに請われて、ジャズ史のエポックメイキングとなるこのアルバムに参加し、大きな貢献を果たす。実質的に彼の作品と言われる"Blue in Green"は私も大好きな曲の一つだ[2]。



そしてこの映画でも何回も登場する"My Foolish Heart"。名盤"Waltz for Debby"での緊張感溢れる出だしで有名なこの曲が流れてきたときは、今まで何度と聴いてきたはずなのに、なぜか涙が流れてきた。あまりに美しすぎて切なくて。同い年の父の人生と重ねたかもしれないが、平成が始まって間もない頃、会社の後輩女子からジャズを聴くには何がいい?と聞かれ、先輩風を吹かせて"Waltz for Debby"を貸してあげたんだ。その後貸したままになったのだが、その彼女が今年早々にガンで亡くなった。そんな平成の思い出も脳裏に横切ったのかな。



映画の終盤でアルバムの共演もあるトニー・べネットがビル・エヴァンスから言われた次の言葉を未だに座右の銘にしていると語る。

美と真実のみ追究し、他は忘れろ。

ビル・エヴァンス、究極の完璧主義者である。

平成最後の福岡02
平成元年に完成したランドマーク、福岡タワーを拝んで、平成最後の福岡を後にした

[参考・引用]
[1]ビル・エヴァンス タイム・リメンバード、UPLINK吉祥寺、
https://joji.uplink.co.jp/movie/2019/1628
[2]伝説のジャズピアニスト「ビル・エヴァンス」とは何者だったのか、dmenu映画、2019年4月26日、
https://movie.smt.docomo.ne.jp/article/1298563/
[3]“時間をかけた自殺”とも言われた51年の人生と音楽を捉えたドキュメンタリー、OPNERS、2019年4月27日、
http://openers.jp/article/1757150
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[ 2019/04/29 23:26 ] music/音楽 | TB(0) | CM(2)

遠距離看護、大変ですね

☆ 父親が亡くなって16年、母親が亡くなって20年です。40代の介護体験、
   当時、40代の自分、厚木から横須賀へ転勤し、週2回新宿本社への
  出張するという合間に実家の調布で出向く事をやっていましたが、今思うに
  体力があったなぁ~と思い次第、62才の今同じことやったら死んでいたと思う。
  papayoyo様、家族、仕事、介護について体力を翌々配分され、決して
  無理をせず、最終的は家族優先で、已む無く切り捨て行くことも、、
  言わずもがな、、でしょうが。
[ 2019/04/30 00:26 ] [ 編集 ]

Re: 遠距離看護、大変ですね

SDTM様、暖かいお言葉ありがとうございます。
連絡、コメント返信もままならず、大変失礼をしております。
確かに定年近くの歳になると体力が持たない親の介護ではありますが、仕事も在宅が使えたこと、家族も横須賀を守る妻には苦労をかけていますが、子どもたちも無事進学をしてくれたこともあって、令和スタートは家族で過ごせそうです。福岡生活も自転車という武器を得て、適度に体力維持、気分転換もやっていますよ。SDTMさんのご苦労に比べればなんのなんの。来月は退院、老人ホームへの入居と山が残っていますが、それが済めば少し福岡との行き来も減らせるでしょう。こっちの仕事も遅延してるし…。
ちょうど今の私の歳くらいの頃、祖母が寝たきりになって、親父は母に介護をまかせっきりで、福岡と山口を行ったり来たりの母はかなり参っていました(後年父から感謝の言葉もなかったと愚痴っていましたw)。それが昭和のスタイルだったのかもしれませんが(勿論当時の企業に介護休暇や在宅の発想なんてなかった)、平成の後半は家族や仕事に対する考え方も変わってきましたし、そんな苦労も見て来たのに母のときは何もできなかったので、父のことはなるべく私自身で落とし前をつけると決めました。令和に変わるタイミングで、昭和・平成の棚卸という意味合いもあるかもしれません。
ただ団塊の世代が介護老人になる令和はこんなもんでは済まないと思います。
[ 2019/04/30 08:21 ] [ 編集 ]

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