FC2ブログ

クルマノエホン livres d'images de voitures

楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためだけじゃないクルマ絵本ライブラリー

どうぐ  

どうぐ

会社の夏休み中に行くつもりだったのですが、いろいろ都合もあって、休み明けの先月後半にようやく行ってきました。川崎市市民ミュージアムで開催中の「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこうー」(9月9日まで)。『からすのパンやさん』「だるまちゃん」シリーズ、そして数々の科学絵本を手掛けた絵本・児童文学界の巨匠であるかこさとしさん。ゆかりの地、川崎市がこの企画展を準備中の本年5月、92年の生涯を終えられました。結果的に彼の追悼展となってしまいましたが、複製原画や関連資料など200点以上が紹介されている楽しい展示会です。化学系の研究者・技術者でもあり、科学絵本作家としても有名なかこさんの作品には、科学技術の粋を集めた自動車の絵本がありそうに思えますが、私が調べた限り、彼の600点以上の著書の中で、ストレートに自動車が主人公となった絵本は残念ながら見当たりません。その中でも、この企画でも展示されていたクルマに関わる有名な挿絵があります。それが今回紹介する『どうぐ』(かこさとし・作、福音館書店かがくのとも傑作集)に登場します(1970年「かがくのとも20号」初出のこの作品は、2001年瑞雲舎より再版されています)。そこで、この絵本をクルマノエホンとして登録し、かこさとしさんの生涯、功績も振り返ってみることにしましょう。

さて、冒頭に紹介した有名な挿絵がこれです。

どうぐ その1

キャブレターも懐かしい初版当時の自動車に使われていた部品を、ネジ一本に至るまで一つひとつ精密に描かれた圧巻の分解図です。かこさんの作品、特に科学絵本はどれも、エンジニアらしく非常にリアルに細かく描き込まれますが、これは彼の真骨頂ともいえる挿絵の代表作です。ふつう自動車の分解図を描くと、エンジンなどはユニットにまとめて一つのASSY部品として表現されることが多いのですが、ここではパーツ単体に分けられ、シリンダーブロック、その中を上下するシリンダーやコンロッド、クランクシャフトなどの細かいたくさんの部品から構成されていることを示します(このクルマは6気筒ですね)。自動車技術者でさえ、細部まで分解された自動車のパーツをこうして俯瞰する機会はほとんどないでしょう。そうすることで、これらの部品はどう組み合わさってエンジンや自動車がカタチ作られていくのかに読み手は好奇心を抱くと思いますし、そうなれば個々の部品が何のために、どういう働きがある「道具」なのかの疑問に発展し、道具には全てに目的があることを学びます。子どもがラジオや時計など、モノを分解したくなる興味と同じですね。分解したパーツをこのように几帳面に一つひとつ並べるような子ならば、その科学技術者としての萌芽は摘み取らず伸ばしてあげましょう。それにしても、かこさんはどうやってこの絵を描いたのでしょうか?実際にこんな風に分解して並べたのでしょうか?気になります。

たくさんのじどうしゃぶひん
たくさんのじどうしゃ部品というとだいたいこんなイラストになる.この絵は富永秀夫さん.
(ポプラ社『かがくの絵本2じどうしゃ』より)

ちなみに内燃機関(ICE)の自動車部品は3万点とも10万点とも言われています[1][2][3]。ソースによって差があるのは、どこまで細かく分解するかによるのでしょう。最近のクルマはエレクトロニクスの塊ですから、半導体基板を1部品と数えるか、基板を構成する電子部品1個1個まで数えるといった違いなのかもしれませんが、実際に真面目に描こうとすると、この挿絵の比ではありません(それでもこの絵の描き込みはスゴい)。EV(電気自動車)になると、エンジンはモーターやバッテリに置き換わる訳ですから、エンジン部品はもちろん、タンクなど燃料系、点火プラグなど燃焼系、マフラーなど排気系、スロットルなど吸気系、オイルポンプなど潤滑系、ラジエーターなど冷却装置、そしてAT(自動変速機)など変速機構も不要になります[2]。このことによってEVの部品点数は、ICEの半減とも10分の1になるとも言われています。いずれにせよ、自動車は間違いなく電動化にシフトしますから、1次、2次、3次と裾野広がる部品サプライヤー、特に機械系部品のメーカーにとっては死活問題です[4][5]。

実際の自動車部品
実際の自動車部品
出典:ミリオン部品商会

ここでかこさとし(以下、加古里子)さんの経歴をおさらいしておきます[6][7][8][9]。本名、中島哲(さとし)。かこさとしはペンネームです。1926年福井県武生市(現・越前市)に生まれた彼は、幼い頃はこの日本海側の地で自然に育まれた日々を送ります。彼曰く、野原や川、雪の中で思う存分遊び倒した体験が、その後の彼の活動の源にあるといいます。小学2年生の時に上京しますが、その頃から絵を描くことが大好きだったようです。しかし父親から「絵なんて趣味でやるもんだ。絶対に職業にしちゃダメ」と咎められていたのだとか[6]。デザインの世界で飯を食っていこうと今浪人中のうちの娘はどうなるのでしょうか(笑)だからかこさんはいつもこっそりと描いていました。彼の創作者としての才能がその頃から非凡であったことは、この企画展にも展示されていた彼の絵日記に見られます。『過去六年間を顧みて かこさとし 小学校卒業のときの絵日記』(偕成社)という本にもなっていて[10]、時代が戦争へと突き進む1938年、上京してから2つめの小学校卒業時に、小学生時代をまとめるよう担任からいわれ、彼は独創的な「作品」を完成させます。数枚の原稿用紙にまとめる子がほとんどだった中で、かこさんは「何枚書いてもよい」という先生の言葉に、絵日記風に6年間を振り返ったのです。何十枚もの原稿用紙を手作りで製本し、表紙にはレタリングでタイトルを描き、「もくじ」までつけるという手の入れようでした。その絵日記を2015年にご自宅で何十年ぶりかに見つけられ、先の著書で紹介されたことで、誰もがその「作品」を見られるようになったワケです。私は企画展で初めてこの絵日記の存在を知ったのですが、その挿絵の完成度といい発想といい、とても小学生のものとは思えません。既に加古さんのスタイルになっています。当時は軍人をめざしていたというだけあって、軍国少年らしい挿絵も多いですが、時代の暗さを一切感じさせない、生き生きとした絵日記に仕上がっていました。

加古里子
加古里子さんの絵日記
加古里子さんと小学生時代の「絵日記」[10]

戦闘機パイロットに憧れたさとし少年でしたが、視力が悪く、懸命によくしようと努力した甲斐もなく、受験も出来ずに軍人の夢は断たれます。それまで「がんばれ」と言っていた教師が、「軍の学校も受験できないやつは…」と言い出すようになって、尊敬していた大人たちに疑問を抱きます。軍人でなくても国に役立つことはあると、反骨心で彼は理系に進みました。旧制中学時代の同期はほとんど特攻に採られ、多くの仲間たちも失いました。当時は皆そうであったように、国の役に立つ職業は他にもいっぱいあるのに軍人という選択肢しか目に入らなかった己の見識の狭さ、勉強不足を悔い、自分と同じ過ちを繰り返させないようにしようと、子どもたちのために何かをしたいと思い始めたのです。戦後入学した東京大学では演劇の研究会に入り、童話劇などで子どもたち向けの表現手段に挑戦します。

1948年に東京大学工学部応用化学科を卒業後、昭和電工に入社し、私と同じ企業の研究畑を歩みます。仕事をしながらの活動はなかなか難しいため、一人でできる紙芝居を思いつきます。そしてセツルメント活動(困窮者への奉仕支援)や児童会活動の中で紙芝居を披露するようになりました。その頃の活動の場が今回の企画展開催の地、川崎だったのです。これらの活動が、絵本作家・加古里子の礎となりました。子どもたちは何が好きで、嫌いで、面白がるのかをその時学びます。面白くなければすぐに飽きられ離れて行きますから。彼らの反応はストレートです。加古さんが福井で遊び回ったあの頃の子ども目線が大切だと気づいたのです。「子どもたちのために何かを教えてやろう」という上から目線の考えは既になくなっていました。絵本作家としての原点である川崎での企画展を、彼はどれほど楽しみにしていたことか。

どうぐ その2
働くクルマの目的も人の作業との対比で理解を促す(『どうぐ』より)

加古さんが絵本の世界に足を踏み入れるのは、この頃の児童会活動に来ていた学生が福音館書店でバイトをしていた縁で松居直氏に出会ったことがきっかけです。彼に請われて初めての絵本『だむのおじさんたち』を「こどものとも」に上梓します。33歳のときです。彼はこの絵本の製作背景について「もちろん建設の状態も描くけれども、人間の働きや温かみ、さらに、人間以外の生き物やまわりの植物、そういうものを描きたくなって、だいぶ強調した。それがその後の『海』や『地球』などでも、基本線になりました。」と語っておられます[6]。たくさんの科学絵本を描いた作家でありながら、自動車を含めストレートに工学やテクノロジーを語る絵本があまり多くないのは、彼が人間や生き物を主体に、自然の中での人間の存在、生(きていること)の尊さや楽しさの方を強く表現したかったからなのかなあと思いました。工学絵本でいえば、『だむのおじさんたち』が縁なのか、その後も『ダムを作ったお父さんたち』(偕成社)とか「土木の歴史絵本」シリーズ(瑞雲社)など土木系の絵本が多いです(鉱山工学を学び土木技師を父にもつ私としては、個人的に興味がありますが)。土木は自然と人との闘いですのでやはり人間臭いですよね。今回紹介した『どうぐ』も、かっこよくて速い自動車とか飛行機といったモノ(製品)そのものよりも、日常生活で使ったり見かけたりする「道具」としてのモノと人との関わりに焦点を当てたかったのでしょう。ただ、科学ライター・林公代氏が2017年のインタビューの中で、私が感じたのと同じように、彼の作品に見られる「人間第一主義」について聞いた際、
『僕みたいに「文化や技術を築き上げたきた人間は素晴らしい』と謳い上げてきた人間は、楽天家も甚だしい。もっと厳しい目で見たら、違う状況が刻々と迫っていると感じているのが、僕の現在です。』
と微妙な心の変化を語っておられるのが興味深いです[7]。

33歳から本格的にスタートした作家活動を通じて、作った作品は600点以上。物語絵本、科学・天体・社会関係の知識絵本、童話、紙芝居など多岐にわたります。つい最近の2015年、89歳になってもその創作意欲は衰えず、『まなびずかん』(小峰書店)を上梓されています。もちろん企業人としても輝かしいキャリアを積まれ、1962年には「亜炭酸化生成物を基体とする土壌改良剤並びに肥料に関する研究」で工学博士号取得(東工大)、’66年に技術士(化学)の資格も取得して昭和電工の上級管理職も歴任されたように、研究者、技術者、そして企業マネージャとしても多くの業績を上げられています。そんな忙しい仕事の傍ら、児童文学者としてもこれだけ多くの作品を創作されていたことを改めて知ると、同じ企業研究所に勤務する技術系サラリーマンでありながら、大した実績もなく、同じく絵本を趣味の世界だけで一人楽しむ我が人生のなんとしょぼいことか。改めて加古里子(中島哲)という人の偉大さに、尊敬の念を禁じ得ません。

カバじどうしゃとブタじどうしゃ
カバじどうしゃとブタじどうしゃを題材に“けいえい”ゲーム(『やすくておとくなあそびーお金と経済のからくり』より)
加古さんは「ごっこ」や「あそび」「ゲーム」を通じて、自ら考え、工夫させる体験型絵本、すなわち子ども向けアクティブラーニングにも挑戦している.企業人として石油ショックを経験し、金融バブル崩壊も見て来た当事者の目で、魔物である経済の本質を問う.「(経済を)魔物として怖れ逃げるのではなく、積極的に正しく活用する知恵をもち、もし経済の波や嵐がおこっても巧みに立ち向かい、その根元にメスを入れる力をもってほしい」(加古里子)[7].彼が若い世代に伝えたかったこと、これを読み解くにはあまりにもその作品の量が多すぎる.

昭和電工退職後は、既に児童文学の世界では世に知れ渡っておられましたから、作家活動に加えて児童文化と児童問題の研究のかたわら、テレビの司会やコラムキャスター(児童教育)、大学講師、海外での教育実践活動などに従事されるなど[7]、亡くなる直前まで、「子どもたちに自分と同じ過ちをさせない」という初志を貫いた生涯でありました。その旺盛な行動力と好奇心には誠に驚かされます。

石井桃子
石井桃子

最近、同じく児童文学界の巨星、2008年に101歳でその生涯を閉じられた石井桃子さんの評伝『ひみつの王国』(新潮社)を読み進めているのですが、戦時中は情報国直属の戦時組織に加わり、戦時色の強い童話も書いた石井に、著者の尾崎真理子氏が戦争中の状況について質問したときのこと。彼女は珍しくむきになって、
『あなたのような若い人たちに、戦争中のわれわれの生活っていうのも説明しても、わかってもらえないでしょう。酸素が足りなくなった水の中にいる金魚が、水面の近くに浮かび上がって口をぱくぱくさせるでしょう?そういう感じで毎日、息苦しかった』(『ひみつの王国』解説より)
と語ったそうです。戦後生まれの我々はテキストや映像で戦争当時のことを知識として知ることはできます。しかし、私も父や母から戦争時代の話を何度も聞きましたが、どう転んでも石井のいう彼らがリアルに体験した「息苦しさ」を同じように感じ取ることはできません。それは今この国を動かしている人たちも然りです。もしそれを感じるようになった時は、再び不幸な時代に向かっているということです。加古さんも石井さんも、その空気を二度と吸わせまいと、戦後は、児童書を通じて我々後輩にいかに伝えるかを模索し続けることが、彼ら長寿のモチベーションになったのでしょう。

加古さんは2007年に「母の友」のインタビューの中でこう答えています。
『今の時代を照らし合わせると、その時代とまあよく似ていて。「また繰り返しているんだね。懲りないんだね」と、ちょっとがっかり、だらしがない。何とまあ、歴史を勉強しなかったか。勉強というのは自分も助けるし、周りの人も、国全体も誤りのないようにする、非常に大事なことなのに』[6]

石井桃子さん、佐藤さとるさんらに続き、危うい空気を感じ取り、それを言葉や絵にして語ることができる貴重な先人がまた一人いなくなりました。

加古里子2
出典:文藝春秋BOOKS



[参考・引用]
[1]1台のクルマはいくつの部品からできているの?、TOYOTAホームページ、
https://www.toyota.co.jp/jp/kids/faq/d/01/04/
[2]自動車産業の未来 部品網の構造変化に備え、浜口伸明、独立行政法人経済産業研究所、2017年10月6日、
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/hamaguchi/04.html
[3]電気自動車へのシフトが自動車業界大転換を起こす、経済界、2017年9月25日、
http://net.keizaikai.co.jp/archives/26478
[4]【EVショック】自動車産業の革命はEV・AIで起きるのではない 問題は部品点数減、財経新聞、2017年10月21日、
https://www.zaikei.co.jp/article/20171021/406649.html
[5]部品点数は一般車の半分以下でOK。電気自動車が起こす新産業革命、嶌信彦『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』、MAG2NEWS、2017年10月11日、
https://www.mag2.com/p/news/288083
[6]加古里子、福音館書店「母の友」編集部、絵本作家のアトリエ1、福音館書店、2012
[7]KAWADE夢ムック文藝別冊「かこさとし 人と地球の不思議とともに」河出書房新社、2017
[8]かこさとし公式Webページ、
http://kakosatoshi.jp/
[9]かこさとし、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%93%E3%81%95%E3%81%A8%E3%81%97
[10]絵本作家・かこさとし、創作の源流となる80年前の絵日記が1冊の本になりました。、偕成社、PRTIMES、2018年3月5日、
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000026693.html
スポンサーサイト



Posted on 2018/09/07 Fri. 23:57 [edit]

category: picture books about automobile/クルマノエホン

tb: 0   cm: 2

コメント

かこさとしサン

★ 8月に]KAWADE夢ムック文藝別冊「かこさとし 人と地球の不思議とともに」
  を図書館で借りて読んでおりました。NHKでも特集をやっておりましたね。
  妻と一緒に見ました。残念ながら、川崎での展示には行けそうもありません。

  この月曜にお休みを頂いて、両国にある東京慰霊館へ出向きました。
  母校(高校)の近くではあったのですが、初めての訪問です。
  この地域では、関東大震災、東京大空襲で身元が分からない方々が多くいらして
  その方々を慰霊するたけでなく、その災害を伝えて行こうということで
  慰霊館が維持されています。先だって、コメントで書かせて頂いた高校時代の
  文化祭での展示ポスターにも思いをはせ、訪問したのでした。記事にするといい
  ながら、筆が進まぬ、今日に至っています。この9月に台風、地震と密着した
  災害ということでは、この回の北海道だけではく、大正時代の関東大震災も
  同じです。詳しくは割愛します。今日はここまでで失礼します。

URL | SDTM #/ZyVyp1I
2018/09/08 12:40 | edit

Re: かこさとしサン

おはようございます。
ナオミちゃん優勝といううれしいニュースはありますが、おっしゃる通り、ここのところ甚大な自然災害が続きます。
かこさんも、『じめんがふるえる だいちがゆれる』 で地震を扱っていますが、我々は宇宙どころか地球のメカニズムも実はほとんどわかっていませんから、それこそ「想定外」の大変動を起こすかもしれない。ポールシフト、M10の超巨大地震、スーパープルームが起こるといったトンデモ話も笑って完全否定できないのですよ、誰も。もちろん、これから何万年先でも起こらないかもしれない。
ただ少ない知識から導かれるのは、日本中いつ大地震が起こってもおかしくないということです。ここ関東も。確実に起こる以上、常にそれに対する覚悟と備えをしておく必要がありますが、自然災害に慣れていて、日ごろそれなりに訓練を受けている日本人はまだよいとして、2年後、言葉も地理もわからない外国人が、東京に浮かれ気分で集結することに、国や都はどれだけ対策を考えているのですかね。開催時期からいって、異常高温はもちろん、ゲリラ豪雨や台風・高潮のリスクの方が高いかもしれませんし。インフラも関空がまさかあんなにあっさり寸断されるとは思いませんでしたが、起こる事象がこれまでの経験を超えてきているので心配になります。
総じて自然災害多発国家としての防災戦略があまりよく見えません。かこさんの言うように、我々は過去の歴史からまあまり学んでいない気がします。

URL | papayoyo #-
2018/09/09 09:25 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→https://ehonkuruma.blog.fc2.com/tb.php/854-baad2394
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク