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GMとともに

GMとともに

先月の10日くらいだったかな、年末年始の片付けで出来てたガラクタをリサイクルショップに出しに行ったんだ。♪弾きもしなーい、古いYAMAHAのフォークギター、スペースが邪魔なのでケースごと放出!ケースに入れていたハズの、昔バークレー音楽院のスーベニアショップで買った、ロゴ入りピックが消失!今はウクレレが欲しい、でも金欠!♪。ちょっとラップ調に、そんなことはどうでもいいんだが、併設するB/Oで久しぶりに何かないかと古本を物色していたら、片隅に追いやられた年代もののコーナーに(普通の古本屋はこういうところにお宝がある)『GMとともに』(原題は“My Years with General Motors”)というタイトルのかなり分厚い箱入り書籍がひっそりと佇んでいた。クルマ関係の本かいな、と書棚の高い位置にあったので、近くの脚立を持って来て手に取ってみた。パラパラめくるとカミさんと大差ない年数を生きて来た1968年発行の本だった。著者はA.P.スローン,Jr.…って誰?(この時点で穴があったら入りたいくらいの無知なんだが)。値段は100円(税込108円)だがクルマ絵本でもないし、確かにあのゼネラル・モーターズ関係の書籍のようだが、GMに関係のある著者の自伝か、ダイヤモンド社なのであまり興味のない経営書の類かと一旦書棚に戻した。でも後ろ髪引かれるようで、何か気になる。

念のためスマホでこの書物のことを検索してみると、現在でも多くの経営者や経済学者が愛読書とし、あのビル・ゲイツもNo.1の経営書として推奨する「経営のバイブル」みたいな本だとわかった。誰?と思ったスローン氏その人は、1920年代に経営が一度傾いたGMを急速に立て直し、COO、CEO、会長と約35年もの間GMに君臨して、そのブランドを確固たるものにした中興の祖、いや、一企業のスケールを越えた経営の神様みたいな人だった。私がまだ1歳の1963年に本書が発売されると、またたく間にベストセラーに。当然高度経済成長期の日本でも翻訳され、’67年の10月に初版。私が手にしたのは‘68年6月の第10版だった(この数字が日本でもベストセラーだったことが伺える)。既に初版本は絶版で、2003年には新訳本も出ている。が、こちらは定価で5,400円もする。



私は技術系企業の研究所に勤務する者ではあるが―もちろん経営に直接関わる高いポジションにいる訳もないフツーのリーマンだけど―、一部署とはいえヒト、モノ、カネに関わるマネジメントやプラニングに関わる仕事をしているので、企業経営に興味がないと言ってしまうとかなり問題がある。一応仕事の参考になるかもしれないし、俺が赤ん坊の頃に書かれたこの悠に500頁を超えるテキストが未だに読み続けられるって、きっと今何が大切なのかを知る手がかりになるはず(薄っぺらいハウツー本を何冊も読むより、こういう骨のある本質を語る本を一冊読む方が人生には有益だ)。なんてったってワンコインで買える。Amazonなどを見ると中古の初版本も5,000円以上で取引されているし、10版クラスでも2,000円くらいする。しかも、大して中身もないクルマに関するブログを書いている以上、あまりにも知らな過ぎたGMのことを勉強する良い機会になるはずだと購入した訳である(転売目的ではありませんよw)。

こういう書籍が100円で手に入るのは読者としてはありがたいことだけど、書物の価値もわからず、ほぼ在庫処分品(ゴミ)として陳列をするこの本のリサイクルチェーンの不勉強さ(自分が言えた義理ではないが、一応彼らはその道のプロなので)を考えると、この会社の今後の経営はますます苦しいだろうなと他人事ながら思ってしまった。後ろ髪を引かれる気持ちになったのは、「こんなところで全身全霊をかけて書き上げた拙著がゴミ扱いとは、日本経済も地に落ちたものよ。あー、手に取ったそこのプラプラしている冴えない君、吾輩の金言を少し勉強してみんかね。」とスローン氏が語りかけてきたのかも。

新訳版については、『ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)の2002年1月号から12月号に抄訳が連載されているので、要約版として読まれるのも良いだろう。それでも80頁くらいある。後でも述べるが、スローン氏が本書を上梓するきっかけを与えた男、現代経営学の祖、ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)氏の序文も読めるので、この本が生まれた背景を知るのにも役立つだろう。私もこれらの記事をコピーしようと、会社のライブラリーや近所の図書館の蔵書を調べてみたのだがどこにもなく、結局東京の区立図書館にあることがわかって、出張のついでに複写してきた。抄訳といっても上記の量だから、コピーすると千円近くになる。結局100円で購入したものの、勉強代としては高く付いてしまったが、ドラッカーの考察や両方を一緒に読み比べると理解も増すに違いない。

GMとともに2
出典:参考文献[1]より

その後は時間を作って少しずつ読み進めている。読了することを、今年の私の挑戦の一つに置いてみたんだ。この本は、スローン氏の自伝という形式で彼の伝えたかった経営哲学を、自分という登場人物を通して冷静に客観的に語るユニークな手法を採っている。ゆえに伝記として読めば、骨太の経営書に有りがちな堅苦しさはあまり感じさせない。だから一般大衆にも読まれるベストセラー書となったのだと思う。スローン氏はGM創設初期の頃から関わっている人物なので(本書にも登場するH.フォードやW.クライスラーと同世代の人だ)、当然そのままGMの社史、あるいはアメリカ自動車史にもなり得る内容で、クルマ好きの方にもとても興味深いだろう。ドラッカーに言わせると、組織のガバナンス(統治)には、明確な構造に基礎を求める憲法論者的アプローチと、君主の性格とモラルに根差す政治思想的アプローチが存在する。スローンは後者に重点を置いたものの、GMの経営基盤を創り上げる過程で、前者のアプローチから合衆国憲法も読み込んだくらいの恐るべき読書家、理論家だったそうだから、表面的なハードルの低さに甘えると、彼の真の金言が響かないくらいの手ごわさがこの本にはあるように思える[1]。

Billy Durant
人懐っこそうなBilly Durant
出典:Meet the man who founded General Motors and wound up running a bowling alley

まだ読了はしていないが、他の文献も参考に、この本でも語られるGM誕生の歴史について少し勉強してみた。アメリカの自動車史については「Tin Lizzie」や「T型フォード」でも紹介したように、フォード社やその創設者ヘンリー・フォードについては情報も多いし、日本でも良く知られた存在だ(そういえば、フォードの伝記絵本についてはまだ紹介していなかった)。でもGMについて皆さんはどれくらい知っているだろうか。「あー、シボレーやキャディラックの会社ね」「アメリカのBIG3、かつては世界最大の自動車会社だったけど、一時期潰れかかったよね」程度の知識で、後に世界最大となるこの自動車会社を誰が作り上げたのか、ほとんどの日本人は知らないだろう。恥ずかしい話、私もこの本に出会うまで、創設者の名前は言えなかった。企業家であり投資家(相場師)でもあったウィリアム・C・デュラント(William Crapo "Billy" Durant、皆は親しみを込めてビリーと呼んだ)がGMを創設したのが、フォードが「流れ作業(ベルトコンベア)方式」を導入し、T型フォードを市場投入したのと同じ今から110年前の1908年。まさにこの年は自動車産業にとってのエポックメイキングな年であった。

Buickに乗るデュラント
Buickに乗るデュラント
出典:Meet the man who founded General Motors and wound up running a bowling alley

デュラントは1861年にボストンで生まれた。母方の祖父がミシガン州の州知事まで務めた人物で、出自は由緒正しいのだが、決して裕福な家庭ではなく、16歳で学業を離れた後は様々な職業を経験している。21歳になるまでにガス会社を再建したり、水道会社の経営に携わっているので、若くして企業家としての才覚があったのだろう[3]。30代後半で馬車製造に乗り出し、1900年にはアメリカ有数の馬車メーカーにのし上がった。この時すでに馬車製造で部品製造から組立、塗装までの垂直統合で大量生産を行っていた。大量生産方式=フォードというイメージがあるけど、他の企業でも早くから採用されていたんだね。そんな彼が当時創世期であった「馬なし馬車」に興味を示さない訳がない。1904年に瀕死状態のビューイック(Buick)を買収し、1908年には全米一のメーカーにまで再建した。そして同年、ビューイックを支配する持ち株会社としてGMが設立された。その後1910年までに、乱立していた自動車製造会社、オールズ(Olds)、オークランド(Oakland、後のポンティアックPontiac)、キャディラック(Cadillac)などを次々に買収し、最終的に乗用車メーカー10社、トラックメーカー2社、部品メーカー25社を傘下に治める巨大な自動車企業へと拡大していったのである。フォード社にも買収話を持ちかけたのだが、フォードが現金ではなく株による支払いに難色を示したことで、このM&Aはご破算になったという。もしキャッシュで支払っていたら・・・。

Louis-Joseph Chevrolet
ひょうきんそうなLouis-Joseph Chevrolet
出典:Louis-Joseph Chevrolet and the Vanderbilt Cup Races- Part I

しかし急激な事業の拡張はコインチェックのように必ず歪を産む。1910年頃にアメリカ経済が急速に冷え込み、主力のビューイック販売にブレーキがかかる。会社は資金不足に陥り、多額の借金を抱え込むことになった。デュラントの退陣を条件に銀行による融資でGMは持ち堪え、彼は自分の興した会社を追われることになった。しかし転んでもただでは起きない、[3]で「ダイハード」と称される彼は、かつてビューイックにいたレーサーであり設計者のフランス人、ルイ・シボレー(Louis-Joseph Chevrolet)と1911年にミシガン・シボレー社を設立した。GMシボレー(Chevrolet)ブランドの前身である。この会社で軽量かつ安価なクルマを作り、これが当たった。1915年には関連会社を統合し、デラウェア・シボレー社を設立、アメリカとカナダ全域に事業展開した。同社の株を元手にGM株を買い占め、1916年に再びGMに返り咲く。1914年からGMに出資していたデュポン社からピエール・デュポン(Pierre Dupont)を会長職に、そして『GMとともに』の著者、スローンが副社長としてデュラントを補佐することになった。もちろんシボレーもGM傘下に収まる。しかし、復活後もデュラントの拡張路線は衰えることなく、ついには農機具や航空会社にまで手を延ばした。しかしスローン曰く、「デュラント氏は大きな弱点を備えた偉人だった。というのは、創造するのは得意だったが、管理は苦手だったのである。」(『GMとともに』より)。M&Aにより拡大したGMは「多数の独立会社の寄り合い所帯」になってしまい、スローンの分析にもあるように各事業体の責任者の裁量権を引き出す仕組みにはなっていたが、それらを統制し、GM全体として効率的に機能させる組織体になっていなかった。結果、過剰投資、過剰生産、過剰在庫を産み、1919年からの景気低迷がGMの経営を、倒産の危機に追いやった。1920年、債権者のモルガン商会と大株主デュポンの資金援助で救済されるが、デュラントは再びGMを去ることになり、二度と戻ることはなかった[4][5][6]。

Pierre S. Dupont
Pierre S. Dupont
出典:Wikipedia

デュラントはその後、資金を掻き集めて初めて自らの名前を冠したデュラント・モーターズ社を設立するが、世界大恐慌によりついに無一文となった。晩年はスローンが用意したニューヨークのペンションで夫人とともにひっそり暮らしていたようだが、スーパーマーケットやボーリング場のビジネスに目を付けていたそうだから、やはりその先見性は確かなものである。1947年、夫人に看取られ85歳で波乱の生涯を閉じる。その数週間後にヘンリー・フォードが亡くなったということだから、彼らはやはり神に導かれてこの世に生を受け、その使命を果たしたのだと思う[2][3]。

Alfred P.Sloan
一見むちゃくちゃ気難しそうなAlfred P.Sloan,Jr.こんな人上司だったらメンタルやられそう.
出典:FOUND A GRAVE

さてGMの歴史はこれで終わった訳ではない。GMの栄光はここからである。デュラントが社長を退き、その後のGM再建、そして世界最大の自動車会社へと成長させる最大功労者が、今回の主人公、A.P.スローン,Jr.(Alfred Pritchard Sloan,Jr.)である。直感型のデュラントに対し、熟考型のスローン。1875年にコネチカット州ニューヘブンに生まれるが、10歳のときにニューヨークへ移り住んでいる。5人兄弟の長男で父親は紅茶とコーヒーと葉巻の卸業を営んでいた。MIT(マサチューセッツ工科大学)で電気工学を学び、卒業後、ハイアット・ベアリング社に入社した。もちろんベアリングは摺動部には不可欠の自動車にも使われる減摩部品だから、この時から自動車に生涯を捧げる運命にあったのだろう。しかし、彼は同社に将来性を見出せず、すぐに退職し家庭用電気冷房装置の会社に転職している。ところがこの会社にも発展が見込めないと見切りをつけたのだが、彼の予想通り経営危機に陥っていたハイアットに6ヶ月復職して、できるだけのことをやってみるという条件付きで、父の資金援助も受けて同社へ戻る。そこで成果を上げ、会社に大きな利益と成長をもたらしたのである。この業界で揉まれる中で、アメリカ、いや世界の自動車の歴史を創り上げたフォードやクライスラー(※)、そしてデュラントらと交流を持つことになる。そして1899年にハイアットの社長に就くと、当時一度目の“フリーター”になっていたデュラントが興したユナイテッド・モーターズ社と合併、社長を任される。デュラントがGMに返り咲くと、そのままユナイテッドはGMの傘下に、そして今度は同社の副社長に重用された[4][7][8]。

(※)ウィリアム・クライスラーもGMで働いていたが、スローンの助言で後のライバル社となる会社を興す。スローンの終生の友人であった。

アメリカ自動車史の巨人たち
アメリカ自動車史の巨人たち:Ford(左)、Sloan(中央)、Chrysler(右)
出典:Automobile in American Life and Society

MIT卒らしく理論家だったスローンは、GMの役員になった時から同社の問題点を分析し、改善策を提案していた。デュラントが2度目の退陣をした後、デュポン社長を経て、彼は若干48歳でGMの最高経営責任者となった。ここから彼の経営哲学が、まずは組織改革から実行へと移される。彼が行った経営手法、マーケティング、事業部制、分割払い(ローン)、モデルチェンジ(計画的陳腐化)、デザイン重視の商品作り、フランチャイズの販売スタイル等々は、今日トヨタやホンダ、日産などの自動車メーカーでは当たり前、他の業種にも影響を与えた。モデルチェンジの効果は「C1初代シボレー・コルベット」でも紹介したし、豊田喜一郎が販売網の整備を指示し(「豊田喜一郎伝」参照)、割賦販売の推進も手掛けて、後に「販売の神様」と呼ばれた神谷正太郎が1935年にトヨタ(豊田自動織機製作所)へ入社する前に日本GMの副支配人の要職にあったこと[9]、もちろん後年『GMとともに』を貪るように読んだこと知ると[8]、トヨタもスローン哲学の系譜かと。後述するように、真のスローンの金言を理解し実践したトヨタに足元をすくわれるようになるとは皮肉なものである。

スローン改革の代名詞と言われるのが事業部制の導入だ。興味深いのは大株主であるデュポン社も当時事業部制を導入している。しかし、両社の導入経緯は全く正反対だという。爆薬製造会社からスタートしたデュポン社は、第一次大戦を境に急速に化学会社として多角化を展開していた。しかし、それまでは機能部門別の集権的な組織体制を採っていたため、多角化した事業構造に対応した分権的な事業部制が求められた。一方、GMは前述の組織拡大の経緯から、ある程度分権的(悪い意味でバラバラ)な状況にあったため、ガバナンス強化のために統一性のある集権的事業部制が求められた[5]。そこでGMの事業部制は各事業部が独立性と権限も与えられる一方、本社の社長が、各事業部の動きに目を光らせ、分権が行き過ぎた場合にブレーキをかける。但し「最終的な意思決定の権限は、最高経営責任者に留保されなくてはならない」(『GMとともに』より)という大原則を崩すものではない。そこでスローンは事業部を統括する担当副社長を設置し、技術革新を担う研究スタッフを各事業部が活用できるシステムを構築した[8]。『GMとともに』には、個人的に関心のある同社の研究開発のポリシーについてはほとんど触れられていないが、「ハッスル!エルくん!」でも紹介したように、GMの研究体制の充実、とりわけ安全研究に関する貢献は特筆すべきものがある。

そして、この本社が各事業部を掌握する鍵は財務管理にあった。スローンはディーラーごとに定期的に販売実績を報告させ、そのデータを参考に各事業部の生産計画を管理した。技術屋らしく、投資収益率(Return On Investment, ROI)などの財務指標を用いて経営を可視化したことは『GMとともに』でも述べられている。各事業部の独立性を保ちながら、判断の正誤を指標で監視することで、客観的にタイムリーに修正をかけられる。このような改革を断行することで、消費者は質実剛健一点張りのダサいT型からフルラインナップの魅力的なGMに流れ、極力外部から素材をBUYすることにより、コストダウンとモデルチェンジへの柔軟性を獲得したGMが、素材から完成車までを一貫して製造していた自前主義のフォードに対して圧倒的なアドバンテージを得ることとなった[7][8]。

しかしサステイナブル(持続可能)な企業経営は難しいもの。アメリカトップ企業100年の目まぐるしい変遷をみれば明らかだろう。1917年の創刊から続く有名なフォーブス誌の企業ランキングで、100年間トップ50に名前が残っているのはAT&TとGEの2社のみだった[10]。前者は1984年に政府より事業分割され、エクセレントカンパニーと言われた後者は巨大赤字を抱え[11]、ついに101年目にしてランキングから消え去るかもしれない。そして’67年のランキングではトップ4だったGMがチャプター11(米連邦破産法11条)の適用を申請したことは記憶に新しい。このような未来になり得るリスクを半世紀以上も前から警告していたのが、前出のドラッカー博士である。若い人たちには『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)の方が馴染み深いかな?

Peter Drucker
Peter Drucker
出典:ドラッカー日本公式サイト

彼は1946年に、彼の名を世間に知らしめることになる名著“Concept of Corporarion”(日本では『企業とは何か』と『会社という概念』の2つのタイトルで和訳されているが以下『企業とは何か』とする)を上梓する(この本のことも知りませんでした^^;)。これはドラッカーが1940年に、GMからの依頼で内部調査をし、それに基づいて大企業のもつ構造的原則やその枠組み、基本的関係、その戦略とポリシーについて書かれた企業の内部組織調査研究書であり、その後に続くドラッカーの数あるマネジメント書の基礎となった。この中でGMの将来に対する危惧を示した。しかし、本書の内容はGMから委託したにも関わらず、スローンの受け入れるところとはならずに意識的に無視され、事実上GM内での“禁書”となった(そういう意味ではとても失礼な会社だ)。そして、『企業とは何か』の成果を否定するため満を持して書かれたのが『GMとともに』であり、こちらがGM内での経営のバイブルとして永年君臨することになったという面白い経緯の本なのだ[1][5][12]。会社の欠点を指摘されて感情的になったのか?いや、スローンはそんなに肝っ玉の小さい男ではない。理屈のわかる男である。その理由は他の文献やドラッカー自身の分析にも示されている。



『企業とは何か』におけるドラッカーの結論は、「経営政策というのは時代や環境によって変わるものであり、常に陳腐化する惧れがある」ということ。つまり、絶対的な経営政策などないというものであった。GMはマネジメントという科学の先駆者を自認していたがゆえ、マネジメントは医学や工学と同じように、基本的に実学であり、科学はその道具にすぎないというこの考え方に同調できなかったというのである。しかしドラッカーを頑なに拒絶したのはスローン本人ではなく、むしろ周囲の人間だった。事実、『企業とは何か』を上梓した後、二人の個人的付き合いは深くなり、事あるごとにスローンはドラッカーを自宅に呼び寄せ相談をし、意見を傾聴していたという。但しドラッカーのアドバイスが採用される事はなかったらしいw[1]。

前述したようにスローンにとって憲法論者的アプローチであるマネジメントのルールは二の次で、重要なのは政治思想的アプローチであるリーダーシップ、経営のプロ(プロフェッショナル・マネージャー)が果たす役割だった。だから、『企業とは何か』に対する彼の非難は、ドラッカー曰く「リーダーシップよりマネジメントを上位に置いている」ことにあったという分析だ。まだ私が辿りつけていない『GMとともに』の最後には次のように述べられている。
「本書ではGMの組織についても説明したが、読者の皆さんに、私が『組織はすでに完成している』と考えているとの印象を与えてしまっていなければよいのだが。企業は例外なく変わり続けて行く。変化は好ましい方向、好ましくない方向、両方があり得る。私はまた、組織は放っておいても動いていく、との印象を皆さんに残していないことも願っている。組織が判断を下すことはあり得ない。組織の動きは、既存の尺度に沿って、秩序立った判断が下せるような枠組みを用意することだ。判断を下し、その判断に責任を持つのは、一人ひとりの人材である。」
否定どころか、基本的な考え方はドラッカーと一致しているではないか。

彼は何よりも企業における人材の重要性を理解していた。ゆえに正しく判断し、その判断に責任の持てる経営のプロを育てようとしたのだが、それは歴史が示すように成功しなかった。カリスマ経営者であるスローンに周りが忖度して、彼の経営哲学をあまりにも絶対視し過ぎたのか、時代とともに組織は変化すると彼は論じていたのだから、後の経営者が怠慢だったのか。70年代以降のライフスタイルの変化、世界的な環境負荷低減への動き、そして日本が得意とするリーン生産方式(従来の大量生産方式に代わる、一車種の部品点数を減らし、在庫を抱えないムダのない生産方式)への変化に、GMは全く対応しきれなかった。

1908年「T型フォード」 Chevrolet Series 490
差別化のマ―ケティング
効率化=コスト優先で黒一色のT型フォード(左)に対抗し、カラフル戦略で成功したシボレー490(右)[13]
出典:TopSpeed Cars
出典:i-bidder.com

労組との対立もあったりして、労働者を資源としてではなくコストとみなしたというスローンに対する批判もあるようだが[7]、『GMとともに』の結言やドラッカーによる人物評を読む限りそうは思えないところがある。むしろ労働者をコストとみなしているのは今日の企業だろう。スローンやドラッカーの意に反し、マネジメントの科学的側面に毒されたMBAや彼らの集団組織である経営企画部署、外部の経営コンサルが跋扈し、経営者も自らの判断より彼らのアドバイスを傾聴する企業が多くなった。恐らく、彼らの多くは現場の声の”データ”は集めるが、直接現場の生の声なんて聞いちゃいない。本当はそこに経営の真の課題があるのだと思うけど。データは時に嘘をつくしね。その結果、全てにコストが優先されるようになると、企業の財政は安定する反面、商品魅力は薄れ、捏造や隠蔽といった企業の成長にはマイナスの行動も生まれる。経営手法のベースが一緒なので、結果的にどの会社も似たような組織やフォーメーションに収斂され、商品のデザインや機能もどこのメーカーのものかわからないくらい差別化が図れなくなった。特に昨今の自動車産業は顕著だよね。今までにない尖がったモノ、本当に作りたいモノを提案しようとするとコストがかかるんだ(コストを減らす検討をするためのフィージビリティスタディですらカネがかかる)。そんな冒険、今どきの大企業で承認される訳がない。それを決断できるプロフェッショナル・マネージャーが育っていないのだから。むしろ大企業の外にそのような人材はいる。デュラントやスローンが今に生きていたらどんな経営判断をしただろうか。

Alfred P.Sloan2
ドラッカーによればスローンは愚直なまでに「人間を大切にする人物」だった.工場マネージャーの子供が火傷したと聞けば、最高の治療を受けさせるためクリスマス休暇を全て病院探しに当てたり、出版の10年前には書き上げていた『GMとともに』には、登場する人物を批判と受け取れる部分もあるという理由で、関係者が生きている間は発表しないと固辞し続けたほどだ.最後の人物が亡くなった日、彼は出版にゴーサインを出し、役割を果たしたかのようにその3年後、90歳で生涯を閉じた[1][7].
出典:Hemmings

ちょうどこの本を見つけた頃に、GMがハンドル、アクセル、ブレーキなしの完全自動運転車を2019年に実用化するというニュースが報道されていた[14]。人間による操作が介在しない「レベル4」(新定義ではレベル5)の自動運転車が実用化されれば世界初である(「テスラ・モデル3」参照)。米国の安全基準では(もちろん日本でも)ハンドル、アクセル、ブレーキの設置は義務付けられているので、運輸省に特例措置を求めているという。システムは2重系で異常が発生すれば予備システムに移行し、それでも問題があれば自動停止するという。グーグルやトヨタ、その他メーカーもGM同様、操作者のいない無人車によるライドシェアサービスのテスト(実証実験)を始めようとしているが[15][16]、GMのそれは本当に来年実用化できるレベルなのだろうか?今我々は、職業パイロットのいない自動操縦の飛行機に乗りますか?と問われている。自動車ならば墜落の危険はないが、橋から川へ落ちる可能性も、乗員の意図に反して歩行者を轢く可能性だってある。

GM「クルーズAV」その1
世界初の自動運転レベル5実用化か?
GM「クルーズAV」その2
公道走行認可を待つGM「クルーズAV」
出典:clicccar.com

GMはかつて時代の流れに乗じて電気自動車EV1を大量に市場投入し、大失敗に終わった過去がある(「誰が電気自動車を殺したか?」参照)。個人的にはオペレーターの乗車する自動運転車はまだしも、人が乗客に徹する無人カーの実用化は時期尚早だという意見なんだが(所詮庶民の感想です)、GMが誕生した頃以上の大変革がモビリティの世界で起こっているのは確かだし、一つの企業で実行するにはスケール感もスピード感も桁違いだ。当時も「馬なし馬車」に千載一遇のビジネスチャンスを感じた山師たちが、雨後の筍のように企業を乱立させ、GMが困難を乗り越えて天下を勝ち取った。果たして今回のマネジメント判断が吉と出るか凶と出るか、そこに単なる利益追求ではない経営哲学はあるのか、GMは次の100年も生き残っていけるのか、デュラントとスローン、そしてドラッカーが天国から見守っている。

久々に長々と書いちまったが、僕的にはとても勉強になりました。

[参考・引用]
[1][第➊回]ドラッカーからの序文 プロフェッショナル・マネージャーの誕生、ピーター・F・ドラッカー、[抄訳]GMとともに、p.24-33、Diamond Harvard Business Review、2002年1月号
[2]ウィリアム・C・デュラント、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88
[3]ウィリアム・クレイポ・デュラント「壮絶なるダイハード、GM創世記」、広田民郎、p133-138、クルマの歴史を創った27人、山海堂、1998
[4]GMとともに 世界最大企業の経営哲学と成長戦略、A.P,スローン,Jr.、ダイヤモンド社、1967年
[5]GMとドラッカー―スローンはなぜドラッカー『企業とは何か』(1946 年)を無視したのか。その結果は。、坂本和一、ドラッカー学会年報Vol.2、2008年度版
http://www.ritsumei.ac.jp/~kazuichi/profile/2008GM.pdf
[6]GMを作った男たち―デュラント&スローン(1923年)、よくわかる 自動車歴史館 第83話、GAZOO、2015年5月1日、
http://gazoo.com/article/car_history/150501_1.html
[7]アルフレッド・スローン、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%B3
[8]アルフレッド・P・スローン「GMを世界最大の会社にした男」、広田民郎、p139-144、クルマの歴史を創った27人、山海堂、1998
[9]<自動車人物伝>神谷正太郎…トヨタ自動車”販売の神様”の戦略、よくわかる 自動車歴史館 第22話、GAZOO、2014年3月14日、
http://gazoo.com/article/car_history/140314.html
[10]米トップ企業の100年 フォーブス創刊からの変遷を追う、Jeff Kauflin、Forbes JAPAN、2017年9月24日、
https://forbesjapan.com/articles/detail/17814
[11]米GE赤字1兆円 苦境 証取委が調査、電力事業も不振、清水憲司、毎日新聞、2018年1月25日、
https://mainichi.jp/articles/20180126/k00/00m/020/133000c
[12]ピーター・ドラッカー、Wikipedia、
https://search.yahoo.co.jp/search?p=+%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC&aq=-1&oq=&ai=MOF5vkj7Rom3vRftIdi4xA&ts=1798&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
[13]18-13.GMの歴史16~カラフル・シボレーの成功~、蜷田晴彦、クルマの歴史物語、2015年1月12日、
http://ninada.blog.fc2.com/blog-entry-610.html
[14]GM、19年に自動運転、米で実用化 大手「一番乗り」へ、清水憲司、毎日新聞、2018年1月13日、
https://mainichi.jp/articles/20180113/k00/00e/020/202000c
[15]GMが「ハンドルのないクルマ」を2019年に投入へ──ついに「本物」の自律走行車がやってくる、ALEX DAVIES、WIRED、2018年1月16日、
https://wired.jp/2018/01/16/gm-self-driving-car-2019/
[16]アマゾンやUberと組んだトヨタは、新しい自律走行車で「モビリティ企業」に転身できるか、AARIAN MARSHALL、WIRED、2018年1月9日、
https://wired.jp/2018/01/09/toyota-self-driving-ces2018/
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