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スティーリー・ダン

ナイトフライ 録音技術の作法と観賞法

先日、『Blue Note ジャズ・フェスティバル in Japan 2017』の中止がニュースになっていた。何があったんだ?と内容を見てみると、ドナルド・フェイゲン氏急病により、とある。ドナルド・フェイゲン?あのスティーリー・ダン(以下SD)の?彼ジャズ・ミュージシャンだっけ?と、さらに記事を読み進めると、横浜・赤レンガ倉庫で今週末9/23(土)~24(日)に開催予定だった同フェスのヘッドライナーとして、2日連続で出演を予定していた<ドナルド・フェイゲン&ザ・ナイトフライヤーズ>の来日が、氏の急病で中止になったことによる判断らしい。ドナルド・フェイゲン&ザ・ナイトフライヤーズのことも、自宅からそう遠くない横浜・赤レンガパークでBlue Noteの野外ジャズ・フェスが聴けることも全く初耳だったので、こんな千載一遇のチャンスを逃すところだった、逆に自分にとってはラッキー!と一瞬思ったのは、期待していたファンの皆様、そして急病のドナルド・フェイゲンに失礼だろうか。久しぶりにドナルド・フェイゲンの名前を聞いたので、ついでに関連情報を検索し続けると、奇才デュオバンド、SDのもう一人のメンバー、「ウォルター・ベッカー死去」のニュースが目に飛び込んで来た。えっ?嘘やろ?と思って日付を確認したらつい先日の9月3日。絶句。知らんかった・・・。昨年ぐらいから自分の青春時代に聴きまくったミュージシャンたちの訃報が続いて、マドンナと同様「いい加減にしてくれ」と思っていたところに、今度はSDかと。ドナルド・フェイゲンの急病は、きっと盟友の死のショックによるものに違いない。大丈夫だろうか、心配である。

スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが逝去。ドナルド・フェイゲンの追悼文の全文訳を掲載


Steely Dan
Steely Danの二人(左:ウォルター・ベッカー、右:ドナルド・フェイゲン)
出典:https://songsfromsodeep.wordpress.com/2016/09/01/10-of-the-best-steely-dan-lines/

前にも書いたが、私が洋楽を聴き始めたのは小学生の高学年くらいから。お袋が買ったポピュラー音楽全集の映画音楽とボサノヴァなどのブラジル音楽(小学生のガキが)から興味を持ち始めて、そのうち真面目にジョン・デンバーやオリビア・ニュートン・ジョンにハマり、そこからビートルズの楽曲を知った。中学生時代はラジオから流れてくるスティービー・ワンダーやEW&Fなどのファンキーな黒人音楽に衝撃を受け、イーグルス、リンダ姐さんなどのウェストコーストロックでカリフォルニアに憧れた。友人らの影響でツェッペリンやクリームなどハードな音にも興味は広がった。そんな中、派手さはないがこのSDの個性的でジャジーな、そんでもってまだ主流じゃなかったデジタルな音に、こういう曲はお前らガキにはわかんねえだろうなとちょっとイキって(博多方言でいうツヤつけて)聴いていた。高校生になってからはYMOなどテクノポップ全盛時代だったが、それ以前、まだパソコンすらない時代から、SDはコンピュータなど新しいテクノロジーの進歩で、それまでの演奏技術で作る・演奏技術を愉しむ音楽から、録音技術で作る・録音技術を愉しむ新しい音楽芸術の可能性を模索していたのだと思う。また、彼らならではのメロディ・ラインやコード進行は、誰が聴いてもSDであり、私が聴き始める前から、そしてその後もスタイルは一貫している。ある意味マンネリズムとも言えるが、あの独特な節回しをSD以外に書けるヤツも書くヤツもいないと思っていた。



ところでSDはライブ嫌いと聞いていたし、『Dr.Wu』も収録された’75年の4枚目のアルバム《うそつきケイティ(Katy Lied)》に至っては設備の機能不良で満足な音質を得ることができず、アルバム完成時に聞くことを拒絶したくらい[3]「録音芸術」に拘っていた彼らが、近年は精力的にライブを行っていたようで(D.フェイゲンのジャスフェスもそう)、どのような心境の変化があったのだろうか。

さて、それから時は流れ、3年前に初めて知った冨田恵一という音楽家。初めてといっても、ずっと前から彼の音楽は数々のヒット曲を通じて耳にしていたのだが、彼のセルフプロジェクト、冨田ラボの楽曲を聴いていると、いくつかの曲でどこか懐かしいメロディ、コード、アレンジメントを感じることがあった。例えば、高橋幸宏と大貫妙子による『プラシーボ・セシボン』。



そしてYou Tubeに動画はアップされていないけれど(ニコニコ動画にはあった)、冨田ラボの1stアルバム《shipbuilding》のトラック#11、『海を渡る橋』を聴いてその懐かしさが何なのかがわかった。この曲の作りがSDの手法そのものだったからだ。私と同い歳の冨田氏が、若き頃SDの影響を受けていてもおかしくない。ここまでSD風に曲が書けるのは相当強い思い入れがあるのではないかと思ったんだ。

↓これの11曲目(他の選曲もVery good!、大貫妙子の『大都会』のカバーもよいね)

<曲目リスト>1.Saturday (Paris Match)2.空想夜間飛行 (Lamp)3.3号線(流線形)4.都会(サノトモミ)5.プラシーボ・セシボン(冨田ラボfeat.高橋幸宏+大貫妙子)6.広いシーツにひとりきり(古内東子)7.Sayonara (Round Table feat. Nino)8.流星都市 (Original Love)9.雨は毛布のように(キリンジ)10.海が欲しいのに(畠山美由紀)11.海を渡る橋(冨田ラボ)12.アバンチュール (Chokolat & Akito)13.CUBE(大橋トリオ)14.モノクローム(具島直子)15.Fantasia(土岐麻子)16.追憶のパラソル (Terry & Francicco)

ほどなく彼の著作に『ナイトフライ 録音技術の作法と観賞法』(DU BOOKS)を見つけて納得。ここでいう《ナイトフライ(Nightfly)》は、1980年にリリースされたSDのアルバム《Gaucho》の発表後、彼らの長い活動休止期間中の1982年に、ドナルド・フェイゲンが出したソロアルバムである。初めて完全にデジタル録音で収録されたポピュラー音楽作品の一枚とされる[1]。私が二十歳、大学2年か3年の頃で、CDは買わなかったが、ヒットした『I.G.Y.』は、久しぶりに聴いたSD節ということもあって、当時のヘビロテ曲の一つだったと思う。そのエポックメイキングなアルバム《Nightfly》を徹底的に掘り下げて、20世紀の録音芸術がどのような技術と工夫をもとに作られたかを解説した本だった。前述の衝撃ニュースを知って、早速Amazonでポチっと。日曜日に届いた。著者によれば本書は楽曲解説書でもSD=フェイゲン研究書でもないと述べてはいるが、一枚のアルバムを題材にした音楽書としては稀有な本であり、彼のSDに対する拘りと、SDの音楽を理解するには恰好の書、いや学位論文にもなり得る立派な研究書であると思う。まだ全部は読んでないけど、情緒的ではないロジカルな文章で、決してスラスラと読み進められる内容ではないけれど、エンジニアの端くれ読者としては逆にとっつき易い。

新刊『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』インタビュー 冨田ラボが語る、録音芸術の価値「スタジオでの録音は途轍もなくおもしろい」

冨田氏と私を比較するのは大変おこがましいが、北海道と九州の両端で生まれ育った違いはあるものの、同世代の皆がそうだったように、まだ娯楽が今のように多様でなかった僕らの少年・青年時代、音楽は生活の糧。ポピュラー音楽史の中では大きな転換期、映像とセットで曲が作られるようになり、さらにデジタル化が進んだ80年代に多感な学生時代を過ごし、青年期までは冨田氏も私と同じように熱心な「リスナー」だったようだ。年齢が一緒なので聴いていた曲も結構被っていると思う。SDもその一つだ。私も幼少期は鍵盤を少し習っていたけど、ただの「リスナー」であり続けた私とは異なり、彼は音楽業界に身を投じることになる。そして「リスナー」から「演奏家」「作編曲家」「プロデューサー」として音楽芸術のキャリアを積む中で、SD=フェイゲンの理解をさらに深めていったのだろう。先のSDを彷彿させる冨田楽曲は、氏の考えや気づき、理論を検証することと、SD=フェイゲンへのリスペクトだったように聴こえる。案の定、自らも<T.O.C. BAND>を率いて本フェスに出演する予定だったそうで[2]、<ドナルド・フェイゲン&ザ・ナイトフライヤーズ>を軸に構成された同フェスのプロデュースにも深く関わっていたのではないかと想像される冨田恵一氏が、同フェスの中止とウォルター・ベッカーの訃報を誰よりも残念に思っているのではないだろうか。


<ドナルド・フェイゲン&ザ・ナイトフライヤーズ>のライブ

音楽がYouTubeやダウンロードの時代になって、一人(あるいは一組)のアーティストの作品をアルバムとして聴くことが少なくなった。自分も含めて。そんな手軽なアクセスを利用してお気に入りの曲を見つける今どきの音楽の楽しみ方を冨田氏は否定しない。しかし、次のように述べている。
「お気に入りの曲からアルバムに広げていけば、追体験したい感情に最適なヴァリエーションを手に入れられる。そうして1枚のアルバムを徹底して聴く。音楽から何が聴こえているかを知るためには、とにかくひとつの作品を何度も聴くことだ。大量の本を読むよりも、1冊の本を繰り返し読む有益さは読書家の知るところであろう。」(『ナイトフライ 録音技術の作法と観賞法』より)
同感である。

そろそろ大人の雰囲気の音楽が欲しくなる季節。マイコレクションの《Aja》と《Gaucho》でも引っ張り出して、久々のSD節を聴きながらベッカーを悼みましょうか。おっと、今さら恥ずかしいけど、《Nightfly》も購入せねば。







Kamakiriad
ハイテク自動車「カマキリ号」(日本語のカマキリから来ている)がテーマのドナルド・フェイゲンソロ2作目の《Kamakiriad》[4]

P.S.サントリーのCMでも有名になったホルガ―・シューカイはんもお亡くなりに。続くね。合掌。


[2017.9.26追記]
コメントいただいたつかりこさんによる、2012年のD.フェイゲンの曲、
”I'm Not the Same Without You”
の詞の解釈が興味深いです。
お前なしで・・・ ~ さよなら、ウォルター




[参考・引用]
[1]ナイトフライ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4
[2]<緊急決定!!>9/12(火)、DOMMUNEで来日記念番組、Blue Note ジャズ・フェスティバル in Japan 2017、2017年9月6日、
http://bluenotejazzfestival.jp/news/extra0912dommune/
[3]うそつきケイティ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%9D%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3
[4]カマキリアド、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%89
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[ 2017/09/20 22:37 ] music/音楽 | TB(0) | CM(2)

残念です

とうとう、Steely Danが消滅しました。

麻薬のことを描いた作品と思われる「ドクター・ウー」の埋め込みで思い出しましたが、
ウォルターベッカーは'70年代後半から麻薬に溺れてしまって、
実質Steely Danの活動が停止した時期があったんですよね。
それから1993年にリリースされた、フェイゲンのソロ2枚目の「カマキリアド」に
プロデューサーとして参加するまで、長いトンネルをさまよっていたベッカーでした。
その後、自身のソロアルバムやSteely Danとしてのアルバムも着々と作り、
ベーシストとしてもギタリストとしても、
かつてないくらいの最高のパフォーマンスを演じていましたね。
寄る年波にはかなわないけど、Steely DanはまだまだSteely Danだ、
って思っていたのですが、こんなことになってしまいました。
フェイゲンの追悼の言葉、泣かせます。
[ 2017/09/22 18:23 ] [ 編集 ]

Re: 残念です

つかりこさん、コメントありがとうございます。
ホント、もう何て言っていいのやら。
つかりこさんブログにも、よくスティーリー・ダンが貼られていたので、お好きなんだなとある意味納得でしたが、ベッカーの死を知ったらショックだろうなと思っていました。だいたい同じ頃に気づきましたね。ハーモニカおじさんの時もそうでしたが、気づくの遅いって、俺たち。
フェイゲンが単独行動し始めた頃からベッカーは?と思っていましたが、やはりドラッグだったのですね。ボウイもそうですが、クスリは寿命を縮めます。『Doctor Wu』は好きな一曲ですが、この音質が気に食わなかったというのですから、どんだけ完璧主義な連中だろうと。それゆえに魔が差しちゃうのですかね。
SDの尖がった、シニカルの面を考えると、世の中の一般的な評価であるSD=フェイゲンよりむしろ、SD=ベッカーのバンドって気もします。改めてSDやフェイゲンを聴くと、相変わらず独特なコード進行が最高に気持ちいい。麻薬みたい(やったことありませんよ・・・)。重ね重ね残念であります。
[ 2017/09/23 00:18 ] [ 編集 ]

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