The Little Red Racing Car
今日はアメリカから素敵なクルマノエホンを紹介しよう。根っからのクルマ好き、カーガイのお父さんが、息子さんが生まれた時に一緒に楽しめるクルマの絵本はないかと探した。何だかどこかの中高年おっさんと同じような話だが、彼は納得できる絵本を見つけることはできなかった(こんなにたくさんのクルマ絵本があるというのに!)。ならば自分で作ってしまおうと、デザイナーのそのお父さんが完成させた作品が今回紹介したい“The Little Red Racing Car”(Dwight Knowlton、Carpe Viam Productions)である。彼の息子さんへ、そしてクルマを愛する全ての人へのすばらしい贈り物となっている。
主人公は一人の少年とそのお父さんの親子。少年が古い納屋で見つけた、かつて大きなレースで活躍し、今はすっかり忘れ去られ朽ち果てた小さな赤いスポーツカー、1955年製のマセラティ(Maserati)300S。そして、そのスポーツカーと深い関わりを持つ“偉大な”レーシングドライバー。この設定だけでクルマ好きはワクワクするでしょ。
1950年代に数々のレースに参戦したマセラティ300Sは、その役割を終えた後、とある農場の納屋へひっそりと隠された。エンジンをかけることも、運転されることもなくなり、クルマは次第にボロボロになった。しかし彼女は、いつか誰かに見つけられることをじっと息をひそめて待っていた。
時は流れ、その古い農場を購入したある家族が引っ越してきた。両親と男の子と小さな妹、そして一匹の犬の家族。古い納屋の周辺は、すぐに少年と犬の遊び場になった。ある日、彼らがボール遊びをしていると、ボールが納屋の中へ転がってしまった。少年が注意深くその古い納屋に近づくと、ちょうど彼の目の高さに節穴が開いていた。そこから納屋の中を覗いてみると、暗闇に壁の割れ目から差し込む光の筋。その中に一台の赤いレーシングカーのシルエットが浮かび上がった。この場面は主人公の少年と300Sが偶然に出会うという本書の中でも非常に重要な部分である。暗闇の中に何かがある!何か特別なものを見つけた少年のドキドキ感がものすごく伝わってくる良いシーンだ。
赤いクルマを見つけた少年は、ドライブに出かけていた父親が帰ってくるのが待ちきれなかった。彼が帰って来るとすぐに納屋のレーシングカーのことを報告した。夕食を終えると、二人で納屋の壁の取り壊しにかかった。中へ入るとそこにはタイヤも付いていない赤いマセラティが横たわっていた。翌朝、プラグを掃除して電気系統を点検。バッテリーを接続してキャブレターに少し空気を注入する。エンジンをかけてみると…マセラティは息を吹き返した。
近所の人にも手伝ってもらい、クルマは納屋から出されて自宅のガレージに移された。そこからクルマの分解が始まった。分解をしていると、少年はドライバーズシートのポケットの中に古い封筒を見つけた。そしてシートを固定するブラケットの下にレーシングゴーグルも見つけた。そこに書かれていたのは“SM”という2つの文字。これは、偉大なレーシングドライバー、スターリング・モス卿(Sir Stirling Moss)がこのクルマを運転していたことを示すものだった。その証拠に、古い封筒に入っていたものは、モスとマセラティの写った古い写真とマセラティの海外事業部署から執行役員宛に出された手紙だった。それは、ブエノスアイレスのグランプリレースでモスにマセラティの提供をお願いする内容のものであった。
Sir Stirling Moss@1954 Itarian GP[9]
私はこれまでよく知らなかったのだが、スターリング・モス卿は1950年代に活躍したイギリスの元レーシングドライバー。才能がありながら一度も世界チャンプになれなかった「無冠の帝王」とも呼ばれる。F1デビューは1951年のスイスGP。‘54年の第3戦ベルギーGPでマセラティのプライベーターとして250Fで出走し3位を獲得したが、それ以外は好成績を残せなかった。‘55年はメルセデスのワークスチームに入り、この年のランキングは総合2位でシーズンを終えている。マセラティに戻った’56年も活躍をして総合2位。‘57年は開幕戦アルゼンチンGPのみマセラティで出走、その後ヴァンウォールに移籍。’58年も含め2年連続で総合2位となっている。ちなみに‘55~57年の3年間、彼の総合優勝を阻んだのは、彼の師匠でもあるアルゼンチンの伝説の王者、ファン・マヌエル・ファンジオである。‘59年はワークスに所属せずにプライベーターから出場して総合3位。いつか英国のマシンで優勝したいと願ったイギリス人の彼は、1960年にロータスと出会う。’60年、‘61年とロータスで総合3位。私の生まれた’62年のシーズン開幕前に大事故を起こし、翌年32歳で引退する[1][2][3]。私の父と同じ84歳でご健在。もちろん母国英国では英雄なのだが、アメリカ人のエンスーにとっても例外ではないだろう。
そんなプレミア付きの名車とあっては、カーガイズ親子は黙っていない。すっかりこの小さな赤いレーシングカーに取り憑かれた彼らは、毎晩、毎週末、クルマの修理に取り掛かった。壊れた部品は修理し、クリーニングし、数か月後、ぴかぴかのマセラティ300Sにレストアした。全てが完了していよいよ試運転である。運転席に乗り込み、スターターを押すまでの1つ1つの手順と音(これ、結構大事なことで、絵本での表現は非常に難しい。「このおとだれだ?」参照)を細かく表現しているところがクルマ好きにはたまらない。
とにかく親子で旧車をレストアする過程がとても楽しい一冊。エンジンを分解し、再び組み上げるなんて、自動車整備士でもなかなか難しい作業だと思う。それを素人の親子2人でやってのけるとは。モノづくりの基本を教わったような気がする。まあ、日本の一般的な家庭では、自宅に車両整備・組立ができるガレージを持てるのは夢のまた夢、本書のような楽しみを味わえるような人はほとんどいないだろう。
赤いレーシングカーに夢中になっている少年の感情やふるまいもとてもいきいきと表現されている。子供がこれだけクルマに触れる機会を持つことは現実的には難しいけれど、たまには愛車のボンネットを開けて、子供たちにエンジンや部品を見せ、触れさせるのもいいかもしれない。
Dwight Knowlton[4]
作者のDwight Knowlton氏は、デザイナーやデザイン・ディレクターとして活躍されており、73ideasという企業向けのデザインコンサルタント会社も経営、特に自動車に関するブランディングなどを手掛けている[4]。本書を作成する動機は上述のとおりだが、出版するにはお金がいる。そこでKICKSTARTERというクリエーターに資金を募るサイトにアイデアをアップし、とりあえず目標とした25,000ドルの確保には到達した。彼はもし10万ドル集まったら、インタラクティブなアプリにしたいと考えていて、50万ドル集まったら、エミー賞を受賞したプロデューサー、ジャスティン・カットと組んでアニメーションを制作しようと計画しているのだそうだ。4/7現在、約27,000ドル集まっている[5]。
Sir Stirling Moss & LRRC[4]
小さい男の子と女の子のお父さんで、家族4人と犬のTessとアリゾナ州フェニックスに在住[3]。愛車はAudi TTロードスターのようだ[6]。本書のアイデアのキーとなるスターリング・モス卿との出会いは彼が8歳のとき。彼の祖父がくれた本の中で知ったのだそうだ。恐るべしエンスー一家。この絵本のプロジェクトを立ち上げた頃、彼は尊敬するモス卿にこの絵本の企画ーマセラティ300Sの絵本を作りたいこと、絵本の中で彼の名前を使いたいことーを手紙に書いて送った。驚いたことに、彼本人から返信があり、自分の名前を使うことを快く承諾してくれたのだ。彼はこの絵本をとても気に入り、お褒めの言葉も頂いたそうだ[4]。
Knowlton氏から直接伺った話によれば、親子のストーリーは完全にフィクションだが、マセラティとモス卿については、可能な限り徹底的に調べられたそうだ。挿絵は手書きでコンセプトスケッチをした後、マック上でフォトショップを使って色付けしているとのこと。本書のマットな色合いが私はとても気に入っている。ボロボロな状態の300Sと、レストアされた後の300Sもよく比較してみると、微妙に赤の色を使い分けている。すごく丁寧な仕事をしているなあという印象だ。こんなところにもクルマへの愛が垣間見られる。
親子で旧いスポーツカーをレストアするという非常にアメリカらしいプロットなので、是非原書の雰囲気を味わって欲しいと思うが、嬉しいことに日本語での出版が決まったようである。英国のカーマガジン「オクタン」日本版が今月の発行に向け準備を進めている[7]。エンジンがかかるときの、“Aaaaa Rrrrrrrt Rrrrrrt Rrrrrrt RooooooM!”とか“Arrrut, rrrut, rut - RrooomMmm!”といった擬音表現をどう翻訳するのか個人的に興味がある。マセラティのエンジン音、聞いたことがないのでね。
Knowlton氏のサイト“Carpe viam!(※)”から原書を購入するなら$18.99。日本までの郵送料を含めると約$40、4,000円くらいだが決して高くはないと思う。Shopでは親子お揃いの素敵なTシャツも販売されていて、こちらも欲しくなる。既に次回作“The Greatest Race”が今秋に出版予定で、こちらも非常に楽しみだ(予約します!)。今年はマセラティ100周年、この良質なマセラティ絵本も是非親子で読んでみていただきたい。
(※)古代ローマの詩人、ウェルギリウスのラテン語の詩、“Carpe viam et susceptum perfice munus!”(道をつかめ、引き受けた責務を果たせ)から引用されている。Carpe viam(道をつかめ)は、「先を急げ、前進せよ」という意味だ[8]。クルマ好きのKnowlton氏らしいサイト名である。
大満足の一冊!
[参考・引用]
[1]スターリング・モス、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9
[2]Formula 1 Race History、STIRLING MOSS、
http://www.stirlingmoss.com/career/race-history/all
[3]王者ファンジオと天才モス、こどもノンフィクション16スピード王ものがたり、鶴見正夫・文、中山正美・絵、岩崎書店、1979年
[4]ABOUT、Carpe viam!
http://www.thelittleredracingcar.com/about/
[5]もし納屋で古いマセラティを見つけたら!、ピーター・ライオンのCarルチャー・ショック、2013年2月8日、
http://www.neostreet.co.jp/peter_lyon/p1/contents1302.htm
[6]Dwight Knowlton:Audi Driver、THE AUDI ENTHUSIAST WEBSITE、
http://fourtitude.com/news/audi-driver/audi-driver-dwight-knowlton-author-of-the-little-red-racing-car-story-book/
[7]Octane Japan/オクタン日本版、Facebook、2014年3月17日、
https://www.facebook.com/octanejapan/timeline?filter=1
[8]ラテン語格言集(14)、山下太郎のラテン語入門、
http://www.kitashirakawa.jp/taro/latin52.html
[9]Fangio wins but it's Moss who steals the show、ESPN F1、
http://en.espnf1.com/f1/motorsport/story/11844.html