トヨタの章男さんが社長を退くことが発表されたが、14年ぶりの非創業家へのバトンタッチを見届けるかのように、章男さんの父でもあり、「工販合併」で1982年に誕生した現トヨタ自動車初代社長・豊田章一博士が先月14日に亡くなった[1][2]。享年97歳。日本企業では博士号(しかも理系の)を持つ社長や役員は極めて珍しいが、彼はその数少ない経営者の一人(1955年に名古屋大学より「(エンジンの)燃料噴射に関する研究」で工学博士の学位を取得)。エンジニアの端くれとしてはリスペクトの意味も含め、以下豊田博士と表記させていただく。科学技術者らしく、博士は品質管理への強いこだわりで効率的な生産で知られる「トヨタ生産方式」を発展させグローバルに展開することで「世界のトヨタ」を築いた。ということで、本日の“クルマノエホン”は、その「トヨタ生産方式」をマンガでわかりやすく解説する

豊田章一郎・章男父子
出典:日刊自動車新聞トヨタ生産方式の2本柱は「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」。製造業に関わる人であれば一度は耳にしたことがあるハズ。本書によれば「ジャスト・イン・タイム」とは「必要なものを、必要なときに、必要なだけつくったり、買うこと」。豊田博士の父、トヨタ自動車の創業者である
喜一郎が発案した。無駄を排除し、在庫は罪悪と言い切る。このブログはクルマと共に本をテーマにしているが、出版業界は耳が痛いだろうねえ[3]。「自働化」とは「機械に人間の智恵をつけた創意工夫のこと」で、トヨタの創始者、佐吉の発案による。織物工場で自動織機に生産を任せていたとき、糸切れが発生しても機械が止まらない問題を、自動で停止する装置を組み込むことで解決したことが始まりだそうだ。自動機械に人の知恵を加えることで“カイゼン”するという意味で人偏の「働」を使っている。だから「自動運転車」は「自働運転車」を目指すべきなのかな?
そのトヨタでもう一つ有名な「かんばん方式」。モノのつくり方(方法)であるトヨタ生産方式に対し、「かんばん方式」は運搬・生産情報の伝達の仕方、もしくは「ジャスト・イン・タイム」を実現するための運搬・生産情報を伝える道具(手段)とも言い換えられる[4][5]。一般的な生産方式は前工程で作った部品を後工程に供給する方式である。それに対して「かんばん方式」は後工程が必要な部品を前工程に引き取りに行く方式。必要な数だけ前工程に引き取りに行くことで、前工程が作り過ぎて後工程に滞留してしまうという無駄が省けるという訳だ。この時に「かんばん」と呼ばれるカード式の指示書が使われる。「かんばん」には後行程が前工程から引き取る部品の種類と数を表した「引き取りかんばん」と、前工程が生産しなければならない部品の種類と数を表した「生産指示かんばん」の大きく2種類あるそうだ。「かんばん」は部品に付けなくてはならず、これがなければ引き取りも生産も行われない。

かんばん方式(『マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式』より)
この方式は「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」を理論としてまとめ、後にトヨタ自工の副社長にまでなった大野耐一(1912-1990)が発案し、方法と手段をセットにトヨタ生産方式を体系化、完成させた。「ジャスト・イン・タイム」を発案した喜一郎体制の下、生産工程の抜本的改革に取り組んだ大野は1956年に渡米し、GMやフォードなどの生産現場を視察した際、新たなヒントを米国のスーパーマーケットから得た。今では誰もが当たり前の顧客が必要とする品物を、必要な時に必要なだけ買いに行くスーパーマーケット方式を生産現場に導入、つまりスーパーマーケットを前工程、顧客が後工程とみなしたという訳だ[6][7]。この「かんばん方式」もデジタル化、生産現場のIoT化を進めているようだが、単に「時代の流れだから」ではなく、“ムダなデジタル化をせず、データの収集や蓄積にもジャストインタイムの考え方を反映していること”と、ここでもトヨタWAYは徹底されているようだ[8]。世界中で読まれている大野の著書『トヨタ生産方式』は、トヨタの経営陣もこの本で勉強したというGM中興の祖、スローンの名著『
GMとともに』とセットで読むと面白いかもしれない。

大野耐一(『マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式』より)
トヨタ生産方式本書はトヨタ”生産”方式となっているが、ここで紹介される様々な方法論はビジネスのお作法として至極全うな考え方であって、生産現場だけでなく、あらゆる事業部門に応用できるものである。製造会社に勤める私の職場でも活用している方法はいくつもあるが、その当たり前のことが当たりまえに実践できないのが私や私の職場も含む世の中の一般的な凡庸なサラリーマン、企業なのだ。それを末端社員まで徹底できるのがトヨタの強さであり、ダメダメな日本企業の中でも、未だに世界トップ100企業(時価総額)にランキングされる唯一の日本企業たる所以だと思う(※)。もちろんお役所仕事にも応用でき、実践できれば経費=税金削減やサービス向上にも繋がると思うのだが、彼らには競争原理も顧客本位の意識もないだろうし…。トヨタはマネジメントの国際規格であるISOを取得しない、それはトヨタのマネジメント手法がISOのそれを超えるからだと聞いたことがある[10]。私も職場のISO管理業務に携わっているが、世の企業の多くは認証を得ること、維持することが目的になってはいないだろうか?これらの方法を使ってカイゼン、スパイラルアップすることが本義なのであって、ISOもトヨタ生産方式と一緒で使い様。本質を見失っては宝の持ち腐れである。
※)そのトヨタも近年は39位(2020年12月末)⇒43位(2021年12月末)⇒51位(2022年12月末)⇒52位(2023年2月)と徐々に順位を落としている[11].日本の製造業を牽引する自動車業界の雄、トヨタですらこの有り様だ.日本経済、本当にヤバいかも.
当たり前のことを当たり前に実践する難しさ(『マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式』より)
しかし経営学の教科書にも登場する世界に冠たるトヨタ生産方式が、果たして未来永劫持続可能な仕組みであり続けるのかどうかは正直わからない。「ジャスト・イン・タイム」によって大手部品サプライヤーであるティア1(1次部品メーカー)から、さらに下請けのティア2以下に至るまでシステマティックに徹底管理されていると、トヨタ向けに新規メーカーが参入するのは結構ハードルが高いのではないだろうか。自動化や電動化でこれまでにない部品調達が必要になってくると、新規参入メーカーにもトヨタ生産方式を強いるか、自社グループ内で開発製造しない限り、品質を担保できないといった課題も出てくるだろう(某国製のリチウムイオン電池なんて火を噴かないのだろうか?と思ってしまうもんね)。しかし部品技術が非常に高度化した現在は、技術を持つ部品メーカーの立場も強くなってきているので、昔のように完成車メーカーが絶対の立場ではなくなっている。
今自動車業界で最もホットな話題である電動化、電気自動車(EV)の基幹部品は
電池、
モーター、インバータ(パワートランジスタ=半導体)だ。半導体不足は自動車業界にとっても深刻な問題になっているが、その対策として熊本に工場が誘致された半導体の世界最大手企業、台湾積体電路製造(TSMC)の売上高において、自動車の占める割合はわずか6%だという[12]。つまり半導体製造企業にとって、この業界は別に最優先のお得意様ではないのだ。電池やモーターの有力企業の多くも、もはやトヨタ圏の外にある。「お前んところの部品買ってあげるから、その代わり俺たちのルールに従え」から「お前のところに部品納めてやるから、相応の値で買ってくれよな.嫌なら他へ売るし」と重要部品であればあるほど主客逆転現象が起こっているのかもしれない。トヨタがEV開発に対して今一つ積極的に見えないのは、もちろんトヨタの全方位戦略の一環と見なすこともできるが、既存の系列の空洞化とトヨタ生産方式の瓦解を危惧しているのも理由の一つではないかと思う。
また昨今のように国際情勢がここまで不安定になると、臨機応変に対応できる部品調達の仕組みも必要になってくる。「トヨタ生産方式」は鉄の結束で結ばれたトヨタグループならではの”ケイレツ(系列)”構造の成せる技でもあったが、既存のサプライチェーンが崩れると逆に弱点にもなり得る。自動車は100年に1度の大転換期、そのリスクはトヨタこそ十二分に認識しているハズだ。それを見越して将来有望な技術の種を早い段階で目利きし、唾つけしておくインテリジェンス機能に相当投資しているのではないかと想像する。もしくは、背に腹は代えられぬとこれら新参企業をM&Aで系列に組み込む戦略もあるのかもしれない。
もっと本質的なことをいえば、「無駄の排除」といってもそれはトヨタ圏内での話でしょ?という疑問。自宅から見下ろす駐車場には今日も駐車したまま全く動くことない多くのクルマたちが存在している。在宅勤務が増えた私の愛車も同様だ。CO
2を排出しないという点では環境に優しいのかもしれないが、これら1週間に1度エンジンをかけるか否かのクルマたちはそもそも無駄ではないのか。たとえ毎日運転したとしても、私の通勤では5人乗りのSUVにたった一人を載せて往復100㎞を移動する。空間的にもエネルギー的にも全く無駄である。トヨタは毎年900万台前後のクルマを生産しているが[13]、工場から出て行った大量のトヨタ車たちもエンドユーザーに似たような使われ方をされているに違いない。そのようなトヨタ車が来年も再来年も世界じゅうで1,000万台以上新たに作り続けられる[14]。トヨタは住宅も作っているが、日本の人口減が確実であるにも関わらず東京や福岡などの大都市では高層マンションや戸建て住宅が次々と建設され続ける一方、ここ横須賀のように地方都市では空き家が増加しているなんともアンバランスな、無駄な状態が広がりつつある。全世界規模での課題解決が求められている現代では、トヨタだけ、あるいは個別の企業だけ「無駄が排除」されても意味がない。
『スマホの真実―紛争鉱物と環境破壊とのつながり』
日本は自動車も含め製造物のリサイクル率は高い方だと思うが[15]、海外を見渡せば使われなくなった大量の車両や部品、建材が不法投棄されている現状をどれくらいの人たちが知っているだろうか[16][17]。一方で電動化・知能化といった新しい技術を研究開発するにも大量のエネルギーが消費されるし、新素材確保のため新たな鉱山が切り拓かれる。レアメタル採掘に児童労働が強いられるといった人権問題[18]や、土壌汚染などの環境問題が懸念されていることを一体どれくらいの人たちが知っているだろうか[19][20]。そうやって製造された電気自動車は、化石燃料を燃やして得られた電気で走るのだ。我々が排除した無駄や負荷は身の周りから別の場所へ移っただけに過ぎないという矛盾。これらの話はトヨタを批判するためのものではなく、大量生産、大量消費をし続けなければならない現代資本主義の本質であり、他の企業や我々消費者全員にも突き付けられた問題である。既存のフレームワークの中で効率やパフォーマンスを高める「カイゼン」から、フレームワークやルール、価値観そのものを地球規模で変える「ゲームチェンジ」が求められている今、トヨタ生産方式も曲がり角に来ているのかもね。効率・能率至上主義からの転換、それがどこを目指すべきかは私もわからない。ただ研究所に勤務していると、新しい発想のためにはムダなこと、というか遊びや寄り道もある程度必要かなとは思う。これって子どもたちが一番好きなことだ。
故・豊田博士が日本の自動車産業だけでなく世界の製造業発展に大きく貢献したことは間違いない。その意志を引き継いだ章男さんも、社長就任時に「自動車業界が21世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」と表明していた位だから[21]、上記の重たい課題も当然認識し悩みながら経営を続けられたのだろう。業界トップの企業となれば、自分たちが先頭で道を切り拓かないといけないからね。その重責をエンジニアでもある新社長、佐藤恒治氏が引き継ぐ。本書を改めて読んでみて、前述の問いに対するトヨタのビジョンや考えを佐藤新社長と豊田新会長に聞いてみたいなと思った。
President, Lexus International Chief Branding Officer 佐藤 恒治
佐藤新社長、どんな舵取りをするのか?
謹んで豊田博士のご冥福をお祈り申し上げます。
マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式 [参考・引用]
[1]トヨタ生産方式、海外でも威力 豊田章一郎さん、技術向上に関心、竹地広憲、毎日新聞、2023年2月14日、
https://mainichi.jp/articles/20230214/k00/00m/020/238000c[2]豊田章一郎氏死去 世界のトヨタへ卓越した指導力、産経新聞、2023年2月14日、
https://www.sankei.com/article/20230214-PNZONEUNYROELKGQMTUAE3UPNY/[3]ORブックス アマゾンの寡占、在庫なき出版社に問う、山口敦雄、毎日新聞、2019年6月26日、
https://mainichi.jp/articles/20190626/dde/014/020/019000c[4]かんばん方式|【図解】トヨタの生産方式かんばん方式とは?メリットとデメリットも、SmartMat Cloud、
https://www.smartmat.io/column/business_efficiency/8021[5]ジャストインタイム生産方式を実現する方法。トヨタの「かんばん方式」との違い、ロボット導入.com、2019年5月7日、
https://www.robot-befriend.com/blog/jit/[6]<自動車人物伝>大野耐一…“トヨタ生産方式”を確立した男、よくわかる 自動車歴史館 第24話、GAZOO、2014年3月19日、
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/03/19/[7]大野耐一、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E8%80%90%E4%B8%80[8]今こそ学びたい「トヨタ生産方式(TPS)」の基本 DXとの相性に注目、Rentec Insight、2021年10月28日、
https://go.orixrentec.jp/rentecinsight/it/article-127[9]世界株式時価総額ランキング(2022年12月末) トップ100は、アメリカ62社、中国13社、日本は1社のみ、ろいでぃの経済的自由を求めて、2023年1月3日、
https://lloydy-investment.com/equity-market-cap/[10]【ISO自己適合宣言】ISO規格取得ブームの終演、ネガティブ廃止かポジティブ廃止かで大きな差、コムステップLLC、2021年6月10日、
https://commstep.com/isoboom/[11]2023年世界時価総額ランキング。世界経済における日本の存在感はどう変わった?、高橋史弥、STARTUP DB、2023年3月3日、
https://startup-db.com/magazine/category/research/marketcap-global-2023[12]半導体産業が九州で復活へ、でも実は「読むとショック」なTSMCの報告書、坂口孝則、DIAMOND online、2023年2月23日、
https://news.yahoo.co.jp/articles/b187cf3e2885dae321cd2896b602955866502b5d?page=1[13]トヨタ販売1000万台維持、3年連続世界一、讀賣新聞オンライン、2023年1月31日、
https://www.yomiuri.co.jp/local/chubu/feature/CO049151/20230130-OYTAT50030/[14]トヨタ、2023年の生産台数1000万台超を目安に 1060万台を上限に1割程度下方リスクを持たせた基準値設定、椿山和雄、CarWatch、2023年1月16日、
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1470595.html[15]世界に誇れる日本の自動車リサイクル制度 優れた仕組みで循環型社会の実現に貢献、東洋経済ONLINE、2019年2月27日、
https://toyokeizai.net/articles/-/265065[16]中国・EVバブルで急増する車載電池の時限爆弾、陳 辰、J.B.Press、2020年5月25日、
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60624[17]世界の電子廃棄物、90%が違法処理されている、KATIE COLLINS、WIRED、2015年5月16日、
https://wired.jp/2015/05/16/90-percent-electronic-waste-illegally-dumped/[18]「現代奴隷制」の被害4000万人 サプライチェーンの人権配慮必須に、吉岡陽、日経ビジネス、2020年11月6日、
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00117/00122/[19]レアメタルに関する大きな誤解:工場のゴミゼロ化は本当に環境に優しいのか?、岡部徹、OHM 、Vol.104、No.11、p40-42、2017、
https://www.engineer.or.jp/c_dpt/mining/topics/008/attached/attach_8239_6.pdf[20]自動車に不可欠なレアアース資源の現状と課題、岡部徹、自動車技術、Vol.74、No. 9、p82-88、2020、
https://www.engineer.or.jp/c_dpt/mining/topics/008/attached/attach_8239_6.pdf[21]豊田章男、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E7%AB%A0%E7%94%B7
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