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MITSUOKA M55

MITSUOKA M55

前回紹介したように未来のモビリティを妄想する一方で、還暦爺さんの脳内はやっぱり昭和のモビリティ、すなわち“じどうしゃ”が忘れられず、記憶の中のイメージデータがいつも蠢いている。ちょうどジャパンモビリティショー(JMS)を見に行った少し後だっただろうか、ネットニュースで思わず唸ったクルマが紹介されていた。それが光岡自動車の「M55コンセプト」。

『プリンスとイタリア』~プリンス・1900スプリントに学ぶ

『プリンスとイタリア』~プリンス・1900スプリントに学ぶ

前回に続き本書の目玉、明治生まれのカーデザイナー、井上猛氏(以下、登場人物の敬称略)の物語。彼の学歴詳細はわからないが、学卒後に百貨店の高島屋に入社して家具売り場、外商部を経験されているので、戦前の旧制美術学校出身でない限り学生時代にデザインの基礎は学んでおられないだろう。そもそも日本で工業デザインが認知されたのは戦後のことで、戦前の教育において工業意匠を学ぶ環境などほとんどなかったハズである。戦前の1943年に高島屋を退社された後、高島屋時代のお得意様だったブリヂストン・石橋正二郎の伝手で同社の林業部門(家具繋がり?)に転職。戦後の1956年にブリヂストンと資本関係にあったプリンス自工へ管理職待遇で意匠設計部署(意匠設計課[1])に出向(本書によれば部長待遇となっているが、中川良一の著書[2]や記事[3]によれば課長職)。家具や木材に長じているということで石橋がデザイン部門に推挙したようだ。だから正確にはプリンス自工のインハウスデザイナーではなく、本籍はブリヂストン社員としてデザイナー活動をしていたということになる。プリンス自工が日産に吸収合併されたことで出向命令が解けたのだろう、1966年に自らデザイン事務所を興して独立するまで在籍した。ここまでは今どきのビズリーチ的転職と違って、当時のよくある人伝手転職話だが(石橋大社長のコネだから普通ではないけれどw)、ここから彼の壮絶な第二のキャリアがスタートする。

『プリンスとイタリア』~プリンス自動車工業に学ぶ

プリンスとイタリア

クルマの絵本のこととか、クルマに関わる書き留めておきたいネタはたくさんあるのだが、ありがたいことに公私それなりに忙しく動き回っており、後述するような他人から見れば無駄と思われることにも時間を費やしたりして筆が進みませぬ。今回は先月、横浜の日産本社ギャラリーへあるクルマの展示を見に行ったことをネタに学んだことを書いてみる。今月5日まで「東京モーターショー」から衣替えした日本自動車工業会(自工会)主催の「ジャパンモビリティショー2023」が開催されていたが(私も行って参りましたが…レポートはまた後日)、ちょうど60年前の1963年、第10回全日本自動車ショウ(翌年‘64年の第11回から「東京モーターショー」に改称)において、今年創立90周年(80周年の時はこんなイベントがありました)を迎える日産自動車[1]の源流の一つであるプリンス自動車工業が出品したスポーツカー・コンセプト「プリンス・1900スプリント」のレプリカが10月24日まで展示されているとネット記事[2]で知ったからだ。プリンス・1900スプリントのことは正直全く知らなかったので色々調べてみると、このクルマの誕生秘話を記したプリンスとイタリア(板谷熊太郎・著、二玄社)という書籍が2012年に上梓されていることを知って即購入。展示車を見た後、一気に読み終えた(『新しい世界の資源地図』はまだ未読了だよーん)。この本が面白くてねえ。予備知識として本書を読んでから1900スプリントを見ればよかったと後悔している。

スズキ・アルトラパン

スズキ・アルトラパン
出典:webCG

令和5年(2023)も明け、脱兎のごとく2週間が過ぎようとしている。平均寿命生きたとしても、あと成人式を1回迎えられるか否かの残すところわずかな人生をまた無駄に過ごしてしまった。残念ながら国立までは進めなかったものの、年末は全国高校サッカー選手権大会に出場し得点も決めた甥っ子を応援、年明け早々家族と一緒にたくましくなった顔を久々に我が家に見せに来てくれた。その後は仕事も始まってはいるが、ボーっとしちゃって(動かないので体重も増えてマズい…)。今年は年賀状も書かなかった。昨年還暦を迎え、子どもたちも’23年は新しいステージに進もうとしている節目ということもあって、今月中には寒中見舞いで年賀状じまいを伝えようと思っている。コミュニケーションを取る手段が色々と増えたこともあるが、会社は定年になっても再雇用で仕事は減らず収入は減る貧乏暇なしは続き、主の居なくなった実家の片付けもこのコロナ禍で一向に進まず、やりたいこと、やらねばならないことが山積みなのに、何かやる気も出ず、季節の便りもこのブログを書くエネルギーも失せてしまった。2022年の漢字「戦」[1]が示すように暗いニュースが続いた影響も引きずっているのかもしれない。で、今年は卯年。ウサギの軽快な脚力で暗澹とした世相から明るくジャンプできる1年になることを期待したい(コロナ再拡大とそれを助長し兼ねない中共との喧嘩から始まった今年もあまりよくないスタートだけどね)。クルマとウサギで言えば、新興国向けチープ車という誤ったブランド解釈で復活しちゃった「ダット(脱兎)サン」は昨年再び姿を消したが[2](かつて一世を風靡した「マーチ」も昨年生産終了し[3]、日産経営陣はホント、ブランド戦略が下手くそだね)、その日産と一時期協業したスズキの(仏語でウサギを意味する)「ラパン(Lapin)」はまだ元気がよい。

『タンタン ソビエトへ』に登場するクルマたち

Amilcar CGSS
出典:Wikipedia

前回、『タンタン ソビエトへ』の漫画全体の完成度は微妙と書いた。[1]を引用すれば、「(シリーズ初作品だというだけでなく)急いで描いたのが明白なほど、高い水準で知られるエルジェの絵は、ときに荒っぽく未熟で慌ただしい。後の仕事で確立されたような洗練さはない」。実際にストーリーの参考にしたのが『ヴェールをはがされたモスクワ』の1次資料のみだったのも、連載の〆切に追われて時間的余裕がなかったことが理由のようで、漫画の質もそれと無関係ではないだろう。しかし登場するクルマたち(だけでなくヒコーキや鉄道など乗り物は全て)はその後の作品同様、どれもリアリティに拘ったダイナミックでスピード感溢れる描写になっていて、作者エルジェのクルマ(のりもの)愛が最初の作品からすでに感じられる。
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