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のっぽじどうしゃこうじょう
 
私も幼少の頃にお世話になった「ノッポさん」こと、高見のっぽさんが鬼籍に入られた。若い人たちには、我々昭和世代の“ワクワクさん”と言った方がわかるかな。昭和の幼児~青年期に少なからず影響を受けた人たちの訃報が相次ぐ今年、またかと思っていたら昨年の9月に既に亡くなられていたんだね。故人の意向でしばらく伏せられていたんだとか[1]。彼を懐かしんで本日のクルマノエホンは『のっぽじどうしゃこうじょう』(枝常 弘・八木紘一郎:編、石崎友紀:製作、杉野孝典:写真、NHK・NHKサービスセンター:協力、青木書店「できるかな5」)を紹介しようと思う。後半はちょっと重い話になってしまい、彼の追悼になっているのかどうか…。
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どきどきドライブ

今年のGWも終了。ドライブに出かけた方も多いと思う。新型コロナも5類に移行され、また昔のような日常が戻るのだろうか?今日紹介するのは『どきどきドライブ』(ミッシェル・ゲイ:作、末松氷海子:訳、佑学社)という長期ヴァカンスで有名なフランスの絵本(原題はEcole Des Loisirs 社刊“PAPA VROUM”)。休暇帰りのドライブ途中なのか、パパとガブリエルの父子が渋滞にはまって、駐車場で一夜を明かすとパパがママに電話しているところから始まる。しかしこれは奇想天外なドラマの序章に過ぎない。
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スラダンとワンピを生んだ街

GW中の石川で大きな地震が発生したが、熊本の地震から先月で早くも7年を迎えた[1]。福岡に帰省をしても、震災後に一度も熊本には足を向けていない。学生時代に6年間もこの街に世話になっていながら不義理を続ける小生の非礼をお詫びしたい。学び舎の一部も震災の被害を受けたが、そこで同じ釜の飯を食った仲間たちと3月に久しぶりの再会を果たした。「血をすゝり涙して」でも紹介した早大童話会出身の竹崎有斐・作『花吹雪のごとく』や『モモ』(M.エンデ)、『クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々』(D.バトラー)などを一緒に読み、ある意味私の絵本や児童書への興味の源泉を与えてくれた法学部の友人夫妻、一緒にバカをやった工学部山師養成学科の同期たち。それぞれは繋がりがないのだが、人は還暦前後になるとそういう気分になるのか、誰ともなくメールが届いたり、便りを送ったりして別々に会うこととなった。ほとんどは関東在住の友人だが、中には九州から遠路はるばるこの会合のためだけに来た者もいた。昔から情熱き男だ。皆それなりに年輪を重ねていたが(特に頭頂部の方がw)、私以外は皆、企業の社長や役員だったりその道のスペシャリストになっていて(ブラタモリに出演した奴もおる)、あの時代、一緒に学び・遊んだ友らが社会で活躍していていることを素直に嬉しくもあり誇りに思えた。そして皆、中身は当時のままだ。そんな連中と青春をしていたまさにその時代の九州の一地方都市で、後年、世界的に人気のコミック作品を世に出した作者たちが同じ空気を吸っていたとは再会の場に集まった連中の誰が想像しただろうか。その作者が井上雄彦と尾田栄一郎、もはや説明不用の『SLAM DUNK』と『ONE PIECE』の生みの親である。
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音楽と言語

先日実家の福岡に帰省して片付けをしていた時に学生時代の懐かしいノートが出てきた。雑誌や新聞の音楽に関する記事の切り抜きや、カセットテープにラジオをエアチェックした曲目を記録したスクラップ帳だ。多分高校から大学時代に使っていたものだ。表紙にはMUSICと印字され、なぜかボストン響を指揮する小澤征爾の下手くそな漫画を描いている。さらによーく見るとマイケル・ジャクソンと坂本龍一の似顔絵を描いて消した跡がある。他にも「ジョージ・ウィストン あこがれ 愛」とか「北原白秋と宮澤賢二(字が間違っとるやんけ)」 といった走り書きも見える。何でこんなもの描(書)いたのか全く記憶がないのだが、なんやねん、こりゃ(笑)。
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一棚一箱本屋さん
出典:Fm yokohama 84.7
先週1週間、故郷福岡に帰っていた。在福中も、市内にある今回お初の新しい本屋さんに何軒か立ち寄ってみたが、帰省する前に地元横浜と横須賀でこれからの時代の本屋の在り方を経験したのでその話を。
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Sayonara、教授

いやー、今年はマジきついっス。私が少年・青年期に少なからず影響を受けた文化人(特に音楽人)が次々と鬼籍に入られて。ユキヒロさんに続き、鮎川誠さんもと落胆していたら海の向こうではバート・バカラックさんの大往生。学生時代を過ごした熊本でも放送されていた『突ガバ!(突然ガバチョ!)』で人気者となった笑福亭笑瓶さんの急逝にも驚いたが、私にとっては『宇宙戦艦ヤマト』よりも『銀河鉄道999』よりも小学生の時に読み耽った『男おいどん』の松本零士さんは同郷の大先輩でもあるし大きな喪失感を抱いた。大学時代に一応教養として読んでみた大江健三郎さんに加賀乙彦さんはまあ歳相応か。“高尚”なお二人なので、おバカな山師養成所の学生にとって大江作品は難解すぎて馴染まず、加賀作品の方は少し緩めの「頭医者」シリーズを面白く読んだ記憶がある。息子と二度見の『帰ってきたウルトラマン』こと団時朗さんも続いてなんて年だ!と思っていたら、今回の坂本龍一さん。盟友ユキヒロさんを喪った際にはグレーのツイートのみで何も語らぬまま帰らぬ人となった。我が青春の音楽、YMOもついに細野さんだけになってしもうた。今度は細野さんが心配。そうそう『タモリ倶楽部』も終わっちゃって…(さらにムツゴロウ先生も亡くなって私の中の昭和は風前の灯)。まだ4月になったばかりだよね。私が還暦なのだから歳の順と言えばそれまでだが、皆さんまだ十分にお若いのだよ。このペースで1年が続くと相当しんどい。先月、中学~大学時代の友人らと連絡を取り合ったり再会する機会が増えた。別の若い友人から「人生は決して長くない。“いつか”“そのうち”なんて待たずに会いに行かなきゃ」と教わった。教授の公式ツイートは彼が好んだヒポクラテスの一節「Ars longa, vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」で締められておる[1]。
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たんけん絵本 種子島 ロケット打ち上げ

年度末の繁忙期と花粉症にも“泣かされて”(現在進行形)、久々の更新。この間にWBC侍JAPAN優勝もあって世間は盛り上がっているが、私がずっと気になっていたのが次期型国産ロケット「H3」の打ち上げ失敗のニュース。先月、固体ロケットブースター不点火が「中止か失敗」の言葉だけの不毛な論争[1]で話題となったこのロケット初号機の再チャレンジが今月6日に決まった時、打ち上げ成功の報を聞きながら読んでみようと急いで注文した『たんけん絵本 種子島 ロケット打ち上げ』(濱美由紀・作、小学館)が本日取り上げるヒコーキノエホン。6日に到着のハズだったのだが予定どおりの配送とはならず、嫌な予感を感じながら天候の関係で翌日7日に延期となったリフトオフ“成功”直後、今度は第2段エンジン不点火で本当に「失敗」となった夕方にこの絵本が到着した(「失敗」と煽った記者はほくそ笑んでいるのだろうなあ…)。本書は今回の舞台、種子島宇宙センターで先代「HⅡ-B」ロケットを使って国際宇宙ステーション「ISS」への補給機「こうのとり」打ち上げのプロセスを詳細に解説したものだ。学生時代は衝撃波とその数値解析をかじり、種子島には行ったことがないが、所属学会の筑波宇宙センター見学会で姉妹機の「HⅡ-A」ロケットを間近で見たこともある(“LET’S FIND OUT ABOUT THE MOON―宇宙のクルマー”)。今は亡き学生時代の友人が宇宙旅行ビジネスの創生期に関わっていたこともあって(「宇宙旅行の夢」)、航空宇宙技術は昔から興味関心のある分野の一つ。研究開発の世界に関わる身としては、ロケット開発のような大型プロジェクトの難しさ、研究者・技術者含む関係各位のご苦労、そして彼らのショックもある程度わかっているつもりだが、子どもたちに宇宙への夢や興味を抱かせるこの絵本では語られない(語れない)日本の宇宙開発の現状と課題を知ると、なんとも複雑な気持ちになってしまうのもまた正直な感想である。今回改めて、花粉症と格闘しながら夜な夜なロケット開発について調べてみたが、知らないことだらけだったので自分用の備忘録としてかなり長文になってしまった…。
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マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式

トヨタの章男さんが社長を退くことが発表されたが、14年ぶりの非創業家へのバトンタッチを見届けるかのように、章男さんの父でもあり、「工販合併」で1982年に誕生した現トヨタ自動車初代社長・豊田章一博士が先月14日に亡くなった[1][2]。享年97歳。日本企業では博士号(しかも理系の)を持つ社長や役員は極めて珍しいが、彼はその数少ない経営者の一人(1955年に名古屋大学より「(エンジンの)燃料噴射に関する研究」で工学博士の学位を取得)。エンジニアの端くれとしてはリスペクトの意味も含め、以下豊田博士と表記させていただく。科学技術者らしく、博士は品質管理への強いこだわりで効率的な生産で知られる「トヨタ生産方式」を発展させグローバルに展開することで「世界のトヨタ」を築いた。ということで、本日の“クルマノエホン”は、その「トヨタ生産方式」をマンガでわかりやすく解説する『マンガで教えて…カイゼン君!トヨタ生産方式』(トヨタ生産方式を考える会・編著、輪島正裕・画、日刊工業新聞社)を取り上げる。
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はじめてのおつかい

先日の朝のクルマ通勤時の話。田舎道の信号無し横断歩道の手前で立ち止まる老夫婦に遭遇した。早朝のお散歩途中なのか、横断歩道より少し離れたところに立っていたので、渡りたいのか、ただ立ち止まって休憩しているだけなのかがよくわからなかった。でも直前で左右をキョロキョロ見ていたのに気づき、ちょっと判断遅れたけど停止した。案の定、その老夫婦は軽く会釈をしながら横断歩道を渡って行った。日本は信号無し横断歩道を渡ろうとする歩行者に対し、約6割のクルマが歩道の前で一旦停止をしないのだそうだ(2022年JAF 調査データ[1])。モータリゼーション先進諸国である英・独・米などでは歩行者優先が徹底され、ほぼ全てのクルマが止まると言われている(“欧米では”に反応しやすい日本人向けに多数リファレンスを挙げてみた[2][3][4][5][6])。そういえば職場の仏人同僚も黄色信号は絶対停止(法規上も「注意」ではなく「止まれ」である)と言っていたことを思い出したが、日本人ドライバーの法令遵守、モラルは欧米に比べ非常に遅れていると感じる。今日は『はじめてのおつかい くるまに きをつけてね』(たにがわじゅん・文、かとうじんいち・絵、バンダイ出版うごくえほん)という面白い仕掛け絵本をネタにこの問題について少し取り上げてみたい。
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PLEASE PLEASE ME

60年前の今日、2月11日(日本は建国記念日ですが)は、ビートルズの初アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー(PLEASE PLEASE ME)」がロンドンのレコーディングスタジオで完成した日なのだそうだ[1]。うっかりしていたが、昨年10月5日はビートルズが『ラブ・ミー・ドゥー(Love Me Do)』でレコードデビューしてから60周年だった(結成は1960年)[2]。昨年は自分と同じクルマに関する還暦ネタばかり気にしていたので(「サーキット燦々」)、すっかり抜け落ちていた(ジョンもジョージももうおらん)。1962年はバカラックとデヴィッドというポップス界の黄金コンビと(「ポップス界の巨匠、逝く」)、革命児ビートルズが誕生したゴールデンイヤーだった訳だ。
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Burt Bacharach:One Amazing Night

嫌な予感は当たってしまった。先月亡くなったばかりの高橋幸宏さんが敬愛し、彼の影響で私も大好きだったポピュラー音楽界の巨匠、バート・バカラックさんがついに天国へと旅立たれた。享年94歳[1]。お歳もお歳だったから心配はしていたのだが、ユキヒロさんの訃報からまだ1ヵ月も経たないうちに。さんだけでなく、御大までも。もう、いい加減にしてくれます?でも自然死ということだから大往生だね。盟友ハル・デヴィッドと独占的パートナーシップを結んだのが私が生まれた1962年で[1]、それから数々の歴史的名曲を残し、晩年も精力的に活動されたのだから。
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アタタカイ雨

立春を過ぎてもまだまだ寒さ厳しいが、長期予報によれば春の訪れは早いようだ。以前に記事にした冨田ラボの『アタタカイ雨』は、私が少年時代の恋を思い出させてくれたマイベスト10に入れてもよいくらい大好きな楽曲の一つだが、昨日YouTube(クルマ好きにもたまらないMV)で同曲を聴いていたら、コメント欄に「高橋さんこんなにいい歌詞を残してくれてありがとうございます」とある。「ん?この曲ユキヒロさんの作詞だっけ?」と思って調べてみると確かにそうだった。迂闊だった。作詞はボーカルで参加しているMAMALAID RAGの田中拡邦さんだと思い込んでいた。MAMALAID RAGの曲『春雨道中』の連歌だと勝手に解釈していたからだ(連歌だと別の作者か)。ガチでYMOの影響を受けたであろう私と同い年の冨田恵一氏が、現代日本音楽界における“一人バカラック&デイヴィッド”のユキヒロさんにオファーしたのかな。改めてこの才能溢れる人が、なんでこんなに早く逝ってしまったのかと、しみじみこの曲を聴きながら追悼中。

鈴木道雄物語 一歩先を歩こう

今年はスズキ・アルトラパンからスタートしたので、本日のお題はそのスズキの創業者、鈴木道雄の伝記『鈴木道雄物語 一歩先を歩こう スズキの生みの親・鈴木道雄の夢を追いかけた人生』(那須田 稔・文、スズキ ミツヒロ・絵、スズキ株式会社/鈴木道雄記念財団)を紹介する。4代目社長で現相談役・鈴木修のとっつぁん(敬意を込めて)は、メディア露出も多いので顔も名前もよく知られているが、彼の祖父である道雄のことはあまり知られていないと思う。お恥ずかしい話、私もこの児童書に出会うまで知らなかった。
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博多んもんな横道もん、青竹割ってへこにかく

高橋幸宏さんの訃報で落ち込んでいたら、今度は「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー&ギタリスト、鮎川誠さんまでも。また癌の糞野郎にだ。2015年に妻・シーナさんがやはり癌で亡くなった後も、シーナ&ザ・ロケッツの活動は継続し、余命を宣告されても周囲に伝えず最期まで自分の好きな音楽をやり続けた根っからのロックンローラー。YMOとの交流も深く、シーナ&ザ・ロケッツをYMOと結びつけたのも高橋幸宏さんだと鮎川氏自ら語っている(“幸宏”と呼び捨てにできるほどの信頼関係)[1]。ギタリストが足らんとユキヒロさんが呼んだのかな?
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ユキヒロさん
出典:billboard JAPAN

元YMOのドラマー、高橋幸宏さんが亡くなった。私とちょうど十違う、享年70歳[1]。脳腫瘍を患っておられたのは知っていたし、盟友・坂本龍一さんもステージ4のガン闘病中ということなので、我が青春ど真ん中だったYMOメンバーの動向は気がかりだったが残念無念。その教授もいまだに公式声明は出されていないが、自身のツイッターで一面グレーの投稿をしたことがそのショックの大きさを物語っている[2]。教授の健康状態も心配だな。リーダー、細野さんもようやくツイッターでコメントし、「(高橋幸宏の一冊の)物語は終わったが本は消えず、ずっとそこにある」と思いをつづっている[3]。学生時代(細野・立教大生、高橋・立教高生)からの付き合いであるという氏にとって(当時の話を聞くと周りのメンツが凄すぎて鳥肌が立つ[4])、本当は言葉も出ないほどの心境であったことお察します。
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